モリノスノザジ

 エッセイを書いています

あなたAWARD2020

 2020年も残り1時間を切る頃合いとなってまいりました。12月16日から参加を募ってきた「#わたしAWARDs 2020」、いよいよ結果発表のお時間です。司会はわたくし、森淳がお送りします。

 さて、ゲストには本日森さんにお越しいただいております。森さん、森さんは今回の結果をすでにご存じと思いますが、あらためて、今年のエントリーを振り返ってどのようにお感じでしょうか?

 

森「選ぶのが、苦しかったです。みなさんすばらしかったので…」

森「そうですか、そうですね」

森「しかし今回は、苦渋の思いで以下の方々に受賞を決めさせていただきました」

森「ありがとうございます。それでは改めまして『あなたAWARD2020』授賞式を開催いたします!」

 

 

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…ということで、参加者全員受賞がお決まりの「#わたしAWARD2020」にご参加いただきありがとうございました。みなさんそれぞれに、それぞれの賞を受賞されました。

 

 「省エネ大賞個人部門」を受賞されたのは、平川三十(平川三十 (id:kuriguri) さん。省エネといえば、環境保全に対する意識が高まる昨今、国際的にも注目が高まりつつある取り組みですが、「個人部門」とはいったい――?

 平川さんからは、受賞のお言葉をいただきました。省エネ大賞個人部門の受賞、おめでとうございます!私も2021年はいい意味で省エネでいきたいものです。

hints.hatenablog.com

 

 

 ブロガーらしく、ブログ関連の賞も相次いでいます。ひかり (id:iisanmisa)さんは「ブログを頑張りました賞」を受賞されました。日記を毎日書いたぞとか、朝ご飯を一日もかかさなかったぞとか、ささいな達成が自分を励ましてくれる気持ち、すごくよくわかります。

arutenaira.hatenablog.com

 

 さまざまなブロガーさんと交流を深めた一年間を振り返り、「ブロガーに甘えた賞」を受賞されたのは日照ノ秋人(id:hiderino-akihito)さん。モリノスノザジの企画にもご参加いただきました(今回も!)。企画は参加者ゼロだとさみしいことになってしまうので笑、甘えさせていただいているのはこちらのほうです。ほんとうにありがとうございました。

hiderino-akihito.hatenablog.com

 

 今年一人暮らしをスタートしたというとうつき (id:toutsuki)さんは「変わる勇気を持ったで賞」を受賞されました。環境が変わるのって、こわいな。と、新年早々仕事の環境が変わる予定の森はしみじみ感じました。自分で一歩を踏み出して自ら環境を変えるのは、周りにひっぱられて否応なく変わってしまうのとは違った達成感がありますよね。変わる勇気、は、これからの景色もぐいぐい動かしてくれる大きな力になるのではないでしょうか。

www.tou-memo.com

 

 sara_50さんもまた、手術をきっかけに生活にさまざまな変化があったようです。私自身、さいわいなことに病気やけがはない平和な一年だったのですが、新型コロナの流行という受難を受けて生活が変化した年だったような気もします。そのなかには、むしろ、よかったことも。迷い込んだ森を抜けて、ささやかな海岸をみつけたみたいな気持ちです。それはそれで、悪くなかったのかも。

sara-50.hateblo.jp

 

 そんななか「2020年もあとほんの少しで賞」を受賞されたカメさん (id:tn198403s)さん。あ、あとほんの少し…ってどういうことですか?

tn198403s.hatenablog.jp

 仮になにも達成できなかった一年だって、そこに至るまでの足取りがなかったことになるわけじゃない。私たちはこのカレンダーを約束として使っている以上1月1日をひとつの切れ目と考えますが、いつだってこの日々はいつかへつながる途上でもある。

 

 ――しかし、そんな発展途上の自分だってたまにはほめてあげたっていいですよね?「自分を自分で褒めるこの心意気こそ、褒め称えられるべき立派な賞なのである」という、かい汰 (id:rubbis_h_eap)さんの言葉のとおり。だれも自分をほめてくれなくたって、自分で自分をほめていられるような人生でありたいです。「嘘をつかず本当のことを言える正直さ」が得難くなるときもあります…ほんとに、だれを失望させても自分だけは自分自身を信じてあげていたいな、と思います。

kaihuku.hatenadiary.jp

 

 数え年という概念がよくわからなかった。あるいは、誕生日を祝うことの意味が。子どもの頃の私にとって、誕生日がめでたいのは、周りの人が私を祝ってくれるからであり、プレゼントがもらえるからであった。それでは、親や友人が私を祝ってくれるのは?プレゼントをくれるのはなぜなんだろう?

 昔の人は、正月を迎えるときにみんなでいっせいにひとつ歳を取った。新年のお祝いというのはすなわち「無事に一年を越せてよかったね」というお祝いであり、誕生日を祝うこともまた同じ意味をもっている。

 

 ほめのハードルが高い。人並みに学業を修めて人並みに働いていたって、なんだかんだでケチのつく世の中である。SNSを覗けばじぶんより実力も魅力も十分な人ばかり。ちょっとでも至らない点があればすぐに叩かれる。でも、人はもっと自分をほめてあげたっていいんじゃないか。たとえば、今日も生きてるってことだとか。

 

 「生きててえらいで賞」を受賞されたのは蟻迷路 (id:arimeiro)さん。冗談抜きに、えらいですよ。生きるって、大変ですよ。赤子とかほっといたらすぐ死んじゃうし。だから、生きてるだけで私たちはえらいんです。生きてれば、いろんなことができるしね。

arimeiro.hatenablog.com

 

 ということで、今年の受賞者のみなさんでした!ちなみに、森は「ちょっといい顔になりました賞」を受賞しました。最近乾燥のためか肌荒れに悩まされています。…ん?いや、きれいになったとかじゃなくて、内面からにじみ出る…的な話なはずなので、一応、ね。

s-f.hatenablog.com

 

 

 あと三十分ほどで新年のカウントダウンもはじまりますね。今年は、企画を通じてたくさんの方と交流することができて、ブログがさらにたのしくなった一年間でした。2021年も、モリノスノザジと森をよろしくお願いいたします。よいお年を。

 

今年の一歩

 自分自身のことはそこまで好きなわけでもなく、かと言って大嫌いということもない。なんだかんだで30年以上一緒に過ごしてきた自分のことだから、情が沸いてしまうのだ。いまさら見捨てるというわけにもいかない。もっとも見捨ててしまえば私は終わってしまうのだから、どっちみち見捨てるとわけにはいかないのだけれど。

 

 年末になるとどういうわけか一年を振り返りたくなってしまって、だれに言われたわけでもないのに頭のなかでこの一年にあったことを思い返したりしてしまう。そして、普段は大好きでも大嫌いでもない自分を、その年末に限ってほんのちょっぴりほめてあげたい気持ちになったりもする。

  終わった後に振り返る一年が予想通りであったことも予定通りであったこともいままでに一度もなく、たいていの一年はどこかしら予想外な一年であった。流されてそうなることもあるけれど、たいていは過去の自分が踏み出した一歩によるものだ。だから、私は思わずつぶやく。なんだ、私も捨てたもんじゃないじゃん、って。

 

 

 2020年は、圧倒的に映画を観ることがたのしくなった一年だった。そうなった理由は三つある。コロナ禍で持て余した時間を、自宅で映画を観ることにあてたこと。メモを取りながら作品を観て、観終わった後に感想をノートにまとめる習慣をつけたこと。短編映画祭のオンライン上映視聴をきっかけに、今まで食わず嫌いしていたジャンルの作品にもふれることができたこと。この三つだ。

 

 オンデマンド配信で映画を観ることが、最近はふつうになった。気に入った作品や気になった役者がいたら、その場で関連作品を調べてすぐ見ることができる。シアターではできない鑑賞方法で、監督や役者のことをいままでろくに知らなかった私にとってはとても勉強になった。

 

  映画のなかには、観てもよくわからないものもある。なにがおもしろいのかよくわからない、というならまだましで、なにが起きているのかよくわからないというレベルのものすらある。

  さまざまに行われている映画祭の多くが今年オンライン(も)開催となり、私はそのうち二つの映画祭のチケットを購入して視聴した。どちらも短編を集めた映画祭だ。短編映画というのは映画手法の実験場、というのか、ユニークな作品が集まる傾向にあるらしく、私にはみていてもどう受け止めていいのかわからないものも多い。

  わからないというのは苦痛だ。だけど、わからないでもわからないなりに見続けることで私は「そういう人」にだんだんなっていくのではないかと思うし、今振り返れば、現にそうなりつつあるのではないかと思う。いろんな映画を、以前よりも楽しめるようになったというのは、これからの私にとって大きな財産になるだろうな、と思う。

 

 

 2020年は、私がこれからこうなっていくのだろうという「そういう人」の兆しのようなものが、少しずつ、かすかに、でもしっかりとした手ざわりをもって私のなかから浮かび上がってきた一年だった。それも、いくつも。ブログを書いていたり、あるいは生活をしていて、もしかして私はこういうことをしたいと思っているのかもしれない、と感じるものにも出会うことができた。私はだめで、平凡で、なんかしょうもない人間みたいにいつも思っているのだけれど、こうやってなんだかんだ歩を進めているところはすなおに尊敬に値する。なんだ、すごいぞ、お前。

 

 2021年、私は私をどこまで連れて行ってくれるんだろう。こういうときだけ都合よく、期待なんてしてみたりする。でも、自分で自分にかける期待はそこまでプレッシャーにならない。これは「わくわく」というものだ。来年の今ごろ、何を考えているだろう?私は、私が楽しみだ。

 

次のご注文は?

 「本日中にお召し上がりください」を、あの人たちはどういうつもりで口にするのだろうか?夜の8時に山盛りのパンを買う人。箱一杯のケーキを買う人。世の中にはきっとその「本日中にお召し上がりください」を忠実に守る人や、忠実に守ることができる幸せな人がいるのかもしれないけれど、私にとっては店側が張るただの予防線だ。それが守られたことなどない。だからこそ、翌日以降に食べたパンやケーキが原因で腹を壊したとしても、その責任は自分で負わなければならない。

 はあ。そんなことはいいのだけれど、朝にお腹を痛めやすくなったのはもしや歳のせいではないか。ため息をつきたいような気持ちで、私はデスクを立った。

 

 

 冷たい廊下を渡って、トイレの前に立つ。中には誰もいないらしく、トイレは暗かった。作業用具をしまったり、清掃員さんが清掃用具を洗ったりするための小部屋に電灯が灯っていて、扉の隙間から漏れた光がトイレのタイルを細長く照らしている。入り口付近にある電灯のスイッチに手を伸ばすと、そのすぐそばに「節電にご協力ください」とシールが貼られているのが目に入る。具体的にどうしろと言わない、日本人らしい持ってまわった命令文だ。私は電灯をつけて、中に入った。

 

 トイレに入ると、左手にふたつ個室がある。手前の扉に手をかけると、そこには「扉は閉めてご利用ください」の文字。誰が開けっ放しでするものか。中に入ってみる扉の裏には「お忘れ物にご注意ください」とある。

 

 便座に座って周りの壁をよくよく見てみると、よくもまあこんなに小さなスペースにこれだけ貼り紙をしたものだ。便座に座ったままでも四方の壁がすべて触れられるくらいのスペースに、所狭しと貼り紙やテプラが貼られている。「トイレのなかは禁煙です」「備え付けの紙以外流さないでください」「トイレの故障を発見したときは、1F警備員室までお知らせください」。さらには「救急車を呼ぶときは住所を先に伝えてください」とか「トイレのなかで具合が悪くなったときは、このボタンを押してください」なんてのもある。なんだか増えた気がするなあと思ったら「便座の蓋を閉めてから流してください」という貼り紙だった。注文の多いトイレである。

 

 トイレの注文の多さは、それを使用する人間の程度をあらわしている気もする。いつだったか街のはずれのほうにあるショッピングセンターのトイレに入ったら、流しのそばに「ここで髪を切らないでください」なんて貼り紙があった。ショッピングセンターの流しで髪を切るような人間がいるのか…そして、その人が切った髪でこの流しが詰まったりすることがあるのだろうかと驚愕した。

 

 それを考えると、そんな貼り紙がないだけマシである。洗面所に貼ってある「手洗いをしましょう」「ジェットタオルは現在停止中です」の文字を横目にトイレを後にする。最後までとにかく注文の多いトイレである。

 

 後日、顔見知りの清掃員さんからこんな話を聞いた。ここのところ、便座の蓋が汚れやすなっていて困るそうだ。何で汚れるかって、それは、茶色の、ざらざらした…あ、そうじゃなくて「土」なんだけど。いったいなぜ便座が土で汚れるのか?日本のトイレに不慣れな外国人が便座の上に立つわけではない。隣の個室を除くふらちなヤツが靴のまま便座に上るのでもない。新型コロナウイルスの感染拡大で衛生観念が極度に高まった一部の人が、便座の蓋を蹴って上げ下ろしをするそうなのである。まさか、想像もつかなかった。

 

 あのトイレに新しい貼り紙が増える日は、そう遠くない。かもしれない。

 

   

 お題「#わたしAWARDs 2020」、30日まで募集受付中です!ぜひに

s-f.hatenablog.com

ちょっといい顔になりました

 ほめられるのは、簡単じゃない。単に私がほめられ慣れていないという、それだけのことなのかもしれないけれど、人にほめられるのは気恥ずかしくてくすぐったいことだ。

 何についてほめられるかというのもいうのもわりと重要で、たとえば、自分ではたいしたことないとか、十分に力を出せなかったと感じている事柄について他人に褒められたりするともやついた気分になる。人にほめられるというのは基本的にいいことのはずなのに、素直に受け取って素直によろこぶことができないこともある。だから、ほめられるのも簡単じゃない。

 

 でも、だからこそ、自分でもがんばったと思うことを他人にほめられるのはすばらしいことだろう。他人というのはそこまで他人のことを見ているものだろうか?わからないけれど、もしもそうだとしたら、なおさらしあわせなことだ。自分自身で評価している事柄について他人にもほめられるという、その意見の一致は。

 

 

 鏡を見てにやにやする。――というのは嘘だ。私は鏡が苦手だから、意識して鏡を見ることはあまりない。だから、自分の顔を見るのは通りかかった車の窓ガラスであったり、エスカレーターに乗っているときに不意に現れる壁の鏡であったり(それにしても、いったいなんのためにあるのだろう?)するのだけれど、不意に自分の顔を見せられることにも以前ほど抵抗がなくなった。なんてったって、私の顔は最近好ましい。

 

 今になって思えばちゃんちゃらおかしいことだけど、子どものときこそ「若くみられることはいいことだ」と信じていた気がする。毛のない頭を馬鹿にしたり、先生の頬に増えてきた皺をわざわざ指摘したり、そういうことをするときに、自分だけは歳をとってもいいという考えはなかったはずだ。子どもなんだから心配しなくてもちゃんとガキなのに、若々しくいることに若干のこだわりがあったような気がする。

 

 けれど、歳を重ねれば若くみられることだけがいいわけではないことに気がつく。歳不相応に老け込むのもかっこ悪いが、いくつになっても軽薄で責任感のない顔をしているのもそれはそれでかっこ悪いのだ。いつしか、私の目標は「いつまでも若くみられること」ではなくて「歳相応の表情を持つこと」に代わった。

 

 その意味で言うと、私の顔は今年いい感じに大人になった気がする。なにがどう、とは言えないのだけれど、ずっと気に入らなくて、だから鏡をみたくなかったその表情を、最近はあまり見なくなった気がする。きっと表情は中身ともリンクしていて、うかつに口を開いて馬鹿なことを口走ったりしなくなったというか、それだけの、自制が備わった気がする。それは、私が自分自身の悩みと向き合って、考えて、成長した証だ。お風呂の水面に映る自分自身の顔にあげる、『2020年、ちょっといい顔になりました賞』だ。

 

 

 先日久しぶりに友人と会うことになって、そうだそういえばと思って聞いてみる。

「ちょっと、大人っぽい顔になったと思わない?」

問われた友人がなんだと聞き返すので、仕方なく説明する。

「だから、久しぶりに会って顔つきがちょっと大人になったなって思わない?」

「は?」と友人。

 …仕方ない。自分の評価と他人の評価とは、概して一致しないもので、それが一致するのはまれにしかない幸福なのだ。ちょっとだけ大人っぽくなったはずの顔で私は友人をゆるす。ここでプンプンするのは、この顔には似合わないことだから。

 

   

  2020年の終わりに、あなたもあなたをほめてみませんか?他人にはみえないがんばりも、ちょっとした変化も、あなた自身なら気がついてあげられるはず。「#わたしAWARDs 2020」は12/30(水)まであなたのご参加をお待ちしています!

s-f.hatenablog.com

 

お題「#わたしAWARDs 2020」

#わたしAWARDs 2020(~12/30募集中)

 非公式のお題企画「ゲリラブ」第三期として、#わたしAWARDs 2020という企画を開催します。期間は、12月30日(水)までの14日間です。

 

今回の指令

〇お 題 :受賞してください

〇 投稿日:令和2年12月16日~令和2年12月30日の期間 

 ・ あなたの2020年を振り返って、あなたに賞を送ってください。

 ・ タイトルは自由です。

 

〇 参加方法

 こちらのマイお題ページにアクセスし、「このお題で記事を書く」をクリックして記事を書いてください。
blog.hatena.ne.jp

 

    

 長かったような、短かったような2020年も残すところ二週間となりました。前回迎えた年末年始のことを思うと、まるでずっと過去のことのように思います。みんなで集まってお酒を飲んで、忘年会嫌だなあなんて愚痴ったり、親戚の子どもにお年玉をあげたり、初詣のついでに屋台の行列に並ぶような、そんな平凡な日常はすっかり失われてしまいました。

 

 この一年間、思い返せばいろいろなことがあったと思います。そしてそれは、きっとうれしいことや楽しいことばかりではない。苦しいことやつらかったこと、うまくできなかったこと、力が及ばなかったこともあったかもしれません。

 でも、今日からの14日間だけは前を向いて、どうか、この一年間のあなたの頑張りを讃えてあげませんか。「毎日笑顔でした賞」でも「こまめに爪を切りました賞」でも、「サボテンを枯らさなかった賞」でもかまいません。いくつ受賞しても大丈夫です。あなたの2020年を振り返って、あなたに賞をあげてください。

 

 みなさんのご参加をお待ちしています!