モリノスノザジ

 エッセイを書いています

たまにあやまちの金曜日

 ひとつ、その日は金曜日で、次の日はお休みであったこと。ふたつ、家の冷蔵庫はからっぽで、ろくに食べられるものがなかったこと。みっつ、その日はなんとなく、まともに料理をする気持ちが起きなかったこと。それに加えて、よっつ、なにかの気まぐれで、たまにはお酒を飲んでみようと思い立った。なぜかはよくわからないけれど、なんとなく、ちょっとだけいい気分だったのかもしれない。いい気分の心当たりは、と聞かれても特に思いつくことはないけれど、まあ、そういうときもある。

 

 ブロッコリーにチーズ、トマト、それに冷凍のパスタをスーパーのカゴに放り込んで、ワインの並ぶ棚へと足を向ける。お酒の銘柄なんて、ろくに知らない。そのうえ、ほんのちょこっとの量で十分な私にスーパーマーケットのリカーコーナーが提示する選択肢は2・3しかなくて、その2・3を十分吟味したあと、私は200ml入りの白のスパークリングワインを手に取った。選んだ理由は特にない。そういえば、今日は炭酸がないやつにしようと思っていたんだ――と気がついたのは会計を済ませた後のことだった。

 

 家で晩酌する習慣はもともとないのだけれど、飲み会がなくなってしまうともう、本当にアルコールを口にする機会がない。去年は2回、今年になってからは初めてのアルコールだ。これだけ飲まない日が続いていると、もう飲む必要はないんじゃないかとすら思えてくる。

 そもそも、20歳を超えたらみんながこぞって酒を飲むことのほうが異常なのだ。タバコを吸う人と吸わない人がいるように、酒を飲む人と飲まない人がいても何ら問題はない。タバコを吸うか吸わないかを決める権利人にあるのと同じように、私にはお酒を飲むか飲まないかを決める権利がある。

 だいたい酒というものは、人間の思考力をダメにする代物だ。酒のせいで目も当てられないことになっている人を、いままで何人目にしてきたことか。……そのなかには私自身も含まれるのだけれど。

 

 ともかくそういうわけで日頃は選択的非飲酒を貫いている私にも、どういうわけか酒を飲みたくなる日がある。金曜日はそういうタイミングだったのだ。

 トマトとモッツァレラチーズをスライスして重ね、塩とバジル、オリーブオイルを垂らす。半端なチーズは刻んでパスタのトッピングに。ブロッコリーは、小房に分けてレンジであたためる。塩・バター・コンソメで味付けすれば、これだけで立派なワインのお供だ。マスクをつけたままだとブロッコリーのにおいが分からなくて、やや鮮度の低いものを選んでしまった気がするが、やむをえない。

 

 10分で準備を済ませると、お気に入りの映画を流しながらの宴の始まりだ。200mlぽっちのお酒が、喉を通って熱くなる。パスタのうえのチーズは、熱で緩んですっかりだらしない。グラスに触れている指だけが冷たくて、暗やみに光る星みたいにちかちかした。ああ、お酒を飲むってこういう感じだったんだっけ。

 

 それなら、こういうのもたまには悪くないかも――そう思ったのは束の間のことだった。翌朝目を覚ました私は、ふたたび「やっぱり酒は飲むまい」と心に決める。気持ちがいいのはいっときだけ。眠りは浅くなるし、ベッドから起き上がるとなんとなく身体がだるい。どことなく頭もボーっとする気がする。それはいつものことか。

 こうなるってことを、知らなかったわけじゃない。こんなことを幾度も繰り返して、それで杯を置いたばずだったのに、いったい誰が酒を飲もうなんて考えたのだろう?もしかしたら酒というものは、飲んだ後だけではなく、飲む前からすでに人の思考力をダメにする力を持っているのかもしれない。やはりこんなものを飲むべきではない………少なくとも、次の気まぐれが訪れるまでは。

 

また読みにきてくれるとうれしいです! 

 

お題「昨日食べたもの」