モリノスノザジ

 エッセイを書いています

アラさま

「くさかんむりのアラです」
 そう言い直されて、しまった。と思う。
 と同時に「いやいや」と心のなかで言い返したい気持ちになる。どう考えたって、「くさかんむりのアラ」より「アラアラしいのアラ」の方がわかりやすい。
 それに、「アラアラしいのアラ」という説明はちっとも間違ってなどいないではないか。なぜ訂正されなければならなかったのか。

 それによく考えたら、「くさかんむりのアラ」ではその漢字の草冠部分しか説明していない。そしてそのわりに、草冠は「荒」という漢字にとってたいして本質的でもない。

 

 ……というのは途中から半ば言いがかりで、わたしは否を認めるしかない。ともかくこの人にとっては、「アラアラしいのアラ」は不正解なのだ。

「『くさかんむりのアラ』様でございますね、承知しました」

 そう言って、心の奥に矛を収める。言われてみれば、こんなに穏やかなアラさんを「アラアラしい」なんて言葉で説明するのはやっぱり間違っていたのかもしれない。アラさんも「アラアラしいのアラ」と説明されたことに対して、怒っているわけではなさそうだ。電話は始終和やかな雰囲気で終わった。さすが、荒々しくはないアラさんだ。

 

 人の名前の漢字を言葉で説明するのが苦手だ。音声だけで文字を表現しようとするコミュニケーションには、ありとあらゆるリスクが詰まっている。

 

 例えば、「なんでその言い方をチョイスしちゃうかな」編
「大きい小さいの小ですね」
 わざわざ比べなくていい。
「オスメスのオスですね」
 これは明らかに「英雄のユウですね」と尋ねるべきだった事案だ。動物の性別を言い表すやり方で、人間の名前を説明すべきではない。
「真実のシンにシンジツのジツですね」
 それは一回でいい。

 

「逆にわかりづらい」編
「清水寺のシミズ様」
 同じ読み方の例を思いつけなかったのか。
「方角のニシに、ゴウは糸へんに『なんとかのさと』とかのゴウ」
 西郷隆盛の西郷って言えばいいんじゃないのかな。

 

「それは伝わらない」編
「樹木希林のキです」というのは有名な話だけれど、
「アベさんとかのアに……」
 どっちのことだろう?
「マイナーなほうのスズキ」
 なんですか?
「さんずいに十二支の『トリ』みたいなやつ」
 個人的には「お酒の酒」と言っていいと思います。
「『あらかん』のラ」
 わかるかなあ?

 

 何度も説明しているのだから、自分の名前の文字くらいスマートに説明できればいいのに、わたしはわたし自身の名前すら説明を間違える。だいたい電話先の人は笑って、「○○の○ってことですよね?」と確認してくれる。そうか、わたしの名前はそう説明すればよかったのか。そうやっていつも膝を打つ。

 だけど、他人がそんなふうに「わかりづらい説明」をするのは別に嫌いなことじゃない。誰だってだいたいは、なんとか相手に伝えようとして、わかってもらおうとして、傷つけないようにしてそうなってしまうのだ。そう考えると、むしろかわいい。

 

 電話が鳴って出ると、さっきのアラさんからだった。
「請求書の日付はいつでおつくりしましょうか」
「報告書はホチキス留めが必要ですか」
「この後14時くらいに書類を持って伺いますが、近くの道で工事をしているようでしたので、少し遅れるかもしれません」

 アラさんの仕事はとても丁寧で、「荒々しい」なんて言ったのはやっぱり間違いだったんだな、という気もしてくる。

 電話を置く。電話をとる。

「『ワタナベ』あてに郵便で送ってください」

 ……さて。