ほんの記録(1月)
短い文章がいくつかまとまっているような本は、通勤中に読むのにうってつけだ。ひとつの文章を読み終えて、目的の駅までにまだ余裕があるようであればもうひとつ、あと一駅ならきりのいいところでやめにして…ということができるので、中途半端なところで読書を邪魔される心配がない。
でも、通勤中にこの本を読むのは難しかった。ひと項目につき、だいたい見開き3~5ページ。図版も多数掲載されているから、文字だけ読むならもっと少ない。というよりも、これらの図版を通勤中の電車のなかでじっくり見る勇気がない。
その本の名は『官能美術史―ヌードが語る名画の謎―』。その名のとおり、西洋美術に描かれるヌード画をテーマにした本である。
表紙にはジュール・ジョセフ・ルフェーブル作「洞窟のマグダラのマリア」。マグダラのマリアが全裸で洞窟に横たわっている場面を描いた絵画である。本を手に取ろうとしてぎょっとする読者のための配慮なのか(?)下半身がちょうど帯で隠されているが、上半身だけでもぎょっとすることに違いはない。
本を開けば開いたで、全裸の女性や男女の性交の場面を描いた絵画がそこらじゅうにあふれている。表紙はカバーで隠せるにしても、中身まで隠しながら読むのは至難の業だ。これは芸術作品ですから……と言い訳しながら、こそこそと読むことになる。誰に糺されるわけでもないのに。
しかし考えてみれば、性愛の場面を別とすれば、女性が全裸でばかり描かれるのも異常な話だ。ヌードを書いた画家も画家で「これは宗教的題材を扱った芸術ですから」なんて言い訳をしていたに違いない。
土曜日に図書館へ本を借りに行ったら、受付をしてくれたスタッフが顔見知りだった。普段は委託社員としてうちの会社に来ているのだが、図書館カウンターに欠員が出たのか、カウンターのなかに納まっている。名札もつけているから、間違いない。
その人に挨拶をしようか一瞬迷って、その一瞬で「知らない人のふりをする」ほうを選んでしまう。相手もまた私に気がついているに違いなく、ついさっき下したばかりの決断をもう後悔する。
なによりも冷や汗をかくのは、カウンターに差し出した本のなかみだ。『官能美術史』のように、美女のヌードが大大と表紙に載っていたり、疑念を感じさせるようなタイトルの本を借りるとしたら、恥ずかしい。それは相当恥ずかしい。美術系の本を読もうとすると、遭遇しやすい事故だ。あれ?今どんな本を持ってきたんだっけ?恥ずかしい本を差し出していたらと思うと、まともに表紙を直視できない。
それとも、相手に怪しまれないうちに弁解をしてしまおうか。「これは、芸術ですから」って。
柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで (中公新書)』中央公論新社
新聞の書評でみかけて興味を持ったので読んでみた。筆者が、タイムスリップした先の古代中国を散策するという体裁で、二千年前――秦漢時代の中国の人々の一日二十四時間の暮らしが描かれている。
難しい専門用語ではなくて、現代の感覚で読める言葉で書かれていてわかりやすい。でも、ちゃんと読みごたえもある。
歴史の授業で習ってきたことは、英雄など、その時代の一部の人が「変えた」出来事。そのいっぽうで、その他大勢の暮らしが、もしかしたら現代まであまり変わらずに綿々と続けられてきたのかもしれないとも思う。
マシュー・ライス著『英国建築の解剖図鑑』x‐knowledge
本屋の新刊台に平積みにされていて、前から気になっていた。英国における各時代の建築様式や、装飾などの名称がイラスト付きで説明されている。
表紙をひらくと、カラーの扉絵。この色の感じ、イラストの線の感じがどこかで見たことのあるような気がして、それもすごく懐かしい。なんだろう……とずっと考えていて、トールキンの『サンタクロースからの手紙』かもしれないと気がついた。味のあるイラストで、空いた時間にちらちら眺めるだけでも楽しい。
この本で説明されているような英国建築を、日本で見ようと思ったら…。イギリスから来たお雇い外国人の建築を探してみたりするのがいいのだろうか?
そのほか
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嶋稟太郎『羽と風鈴』書肆侃侃房
》 また読みにきてくれるとうれしいです!