モリノスノザジ

 エッセイを書いています

真夏の夜の

 全体がゆるくゆるく傾斜掛かったようなその街の朝のなかを、一台の車が走り出ていくのを見た。朝、私はコンクリートの高台の上を歩いていた。そこから一段低いところに道があり、車はその道を飛ぶように走っていく。車内にちらっとだけ、隣のクラスの担任の顔が見えた。どうも、妙な話だ。

 

 とんとんと階段を下って、車が走っていったのと同じ方角へ歩きはじめる。車を追っているというわけでもなく。

 それにしたって、なんて中途半端な街並みだろう。校外学習と言えば、もっと自然のあふれるところを宿泊場所に選ぶものではないのか。

 ほとんど気がつかないくらいの坂道を歩いていけば、幅広で人気のない道路を縁取るように、建物が生えている。朝だからか、どこも入り口を閉ざしていて、色がない。看板もない。ここはたくさんの建物があっても、都会ではないのだ。どういうつもりでこんな場所に私たちを連れてこようと考えたのか、先生たちの考えることはまったくよくわからない。

 

 集合場所に指定されているホテルが近くなると、他の生徒たちの姿がちらほらと目に入るようになった。広いのに信号のない交差点に立つと、対角の位置にふたりの生徒が立っているのが見える。スマートフォンの画面をふたりで覗き込んで、なにやら話し合っている。

 そういえば、私も携帯を持っていたんだ。そう思うと、ポケットにはやはりスマートフォンがあって、私はスマートフォンの画面を明るくする。LINEに、母から何通もメッセージが来ていた。ふたたび周りを見渡せば、生徒たちが、不安と好奇心の入り混じったような顔で足早にホテルの方向へ向かってゆくのが見える。やっぱり、なにかあったんだ。

 

 私たちはそのホテルに集合して、そこからバスに乗り込む予定だった。帰りのバスにだ。隣のクラスの担任もまた、ここからバスに乗る予定だった。何事もなければ。それが、バスの出発を数十分後に控えたこの時間にわざわざ別乗りで帰るとは。いったいなにがあったのだろう。

 

 集合場所をぶらぶらしているうちに友人と出会って、謎は半分とけた。やつの言うところによると、隣のクラスの女子生徒が、男子生徒と一緒に「ジョウシ」を企てたというのだと言う。じょうし、なんて言葉を口に出すのははじめてだ。つまるところ、その女子生徒が、恋愛関係にある男子生徒と一緒に自殺を試みた、ということだろう。あたりはもっぱらその事件の話題でもちきりなのに、それ以上のことは誰も知らないようだ。その試みが成功したのか失敗したのか、彼女たちはどこにいるのか。そして、その女子生徒というのは誰なのか。

 

 正直なところ、私と友人には心当たりがあった。”彼女”は私たちと同じ吹奏楽部の部員で、隣のクラス。本人は秘密にしているつもりのようだけど、彼女が定期的にリストカットをしていることを、私たちは知っていた。そして、隣のクラスに「ジョウシ」を企てる女の子なんて、彼女のほかには思いつかないことも。案の定彼女は周りを探しても見つからなくて、私たちはそのまんま、どうしたらいいかわからなかった。

 

 ひんやりと、風に額をなでられて目を覚ました。夢だったのだ。集合場所のホテルも、宿泊学習で止まったあの街も、現実には存在しない。彼女―――日ごろからリストカットをしている、危なっかしい彼女―――も、いない。

 夢のなかの感覚では、彼女はその世界に確かに存在していた。たとえあの場所に彼女の姿がなかったとしてもだ。昨日までの学校生活を、一緒に、というほどには仲がよくなかったとしても、同じ世界にちゃんと存在していたのだと思えるくらいに、彼女はそこにいた。そんな彼女ごと、朝は世界を無くしてしまう。

 

 現実で宿泊学習に行ったのは、小5と中2の二回。行先はどちらも「青少年自然の家」みたいな、なんか公共の施設だ。そこは絵にかいたみたいに子どもの教育にいいところだった。夢に見たあの街や、そういう感じのところに行ったことはなかった。

 

 夢のなかだけで何度か通った学校がある。上空から見下ろすと校舎が蹄型になっていて、そのU字の内側を埋めるように教室が連なっていた。U字の左辺と右辺を渡す廊下がなかったので、移動教室の前後はいつもうんざりした。私の教室がある端っこから、反対の端っこにある理科実験室まで行くには、休み時間中廊下をダッシュし続けなければならない。その学校で私は放送委員をしていて、お昼の校内放送をかけるために放送室に行くのは非常に骨が折れた。放送室は、理科実験室の骨格標本をくぐりぬける小さな扉の向こうにあった。

 私が放送委員であるということや、こんなにも頭の悪いつくりをした学校に通っている理由を、夢のなかの私が誰かに解説してもらった覚えはない。けれど夢のなかの私は、その世界のことを当たり前に信じていた。昨日までもずっと、その学校に通い続けていたみたいに。

 

 そういえば、あのヘンテコな学校にもしばらく登校していない。あの世界は、なくなってしまったのだろうか?それとも、夢のなかなのはこっち側だったんだろうか。何年も前から眠って目覚めるたびに戻ってくると思い込んでいた、この世界のほうが。それは、目覚めてみるまでわからない。

 

すごくふつう

 毎日通う職場のビルがすごいので聞いてほしい。ビルは、すごい。まず、毎日あの形を保っている。おとといから昨日にかけては、久しぶりの、それなりに雨量の多い雨模様だった。それでもビルは、濡れてへたっていることもないし、湿気で膨張することもない。冬になって雪が降っても、この辺りにしては気の狂ったような高温にさらされても、ビルは元気だ。理不尽に罵倒されても、陰口を言われても堂々としている。

 

 もしも私がビルだったら、住みにくいと思う。多分。まずさ、雨に降られたらへこむもんね。傘では防げないような角度で降る雨にスーツの裾を濡らされたり、綿毛を吹いてばらばらにしたような霧雨に眼鏡を濡らされるのは、好きじゃない。いくら雨が好きだったとしてもだ。がんばって姿勢よく立っていても、横からわき腹を殴られでもしたら、痛くて縮こまってしまう。直接危害を与えられなくったって、こころないことばを投げかけてやればすぐふてくされて布団にこもる。なんてやつだ。勤務先のビルがこんなやつでなくて、本当に安心している。

 

 殴られたり蹴られたりに弱いのは当然として、最近の私はさらにナイーブで困る。Yahoo!ニュースやTwitterをひらけば毎日いろいろな怒りが新着マークをつけて渦巻いていて、そういう、自分とは関係のないところで表明される怒りに対してひどくナーバスになっているように感じる。それに、焦りや腹立たしさもある。それはどちらかと言うと私自身が起点のように思われるのだが、どういう種類の焦りなのか、何に対する苛立ちなのかわからない。

 そうした内面のざわめきを他人にぶつけることがないとしても、なんだか居心地の悪い気持ち。ビルがそういう気持ちでいたら、きっとビルのなかにいる人も居心地悪く感じるだろう。同じように、私がそういう気持ちでいると、私もなんだかすっきりしないので困る。

 

 嵐のなかにあったオリンピックは、開会式/閉会式と、卓球男子団体の準決勝、それに三位決定戦を観た。スポーツが海王星なら、私は水星。それくらい運動と縁遠いところにいる私が卓球を観ようと思ったのは本当にたまたま。職場の同僚がその日、やけに卓球を楽しみにしていたからだ。昼間、仕事に追われながらも「卓球男子、今日?何時⁉」と気にしている。卓球とはそんなに見ごたえのあるものなのか、と思いつつ帰宅すると、噂の試合がちょうどテレビで始まるところだった。

 

 「スポーツの力で感動を」なんて中身のない言葉が、何度も繰り返されてきた。そしてそれをこれまで冷ややかな目で流してきた私であるが、くやしいことに、卓球の試合を観るのはそれなりに楽しく、人並みに感動までしてしまった。

 刻一刻と状況が変わっていくなか、状況に合わせて戦略を変えて戦っていくことの面白さ。相手の裏をかいてようやくぶんどった1ポイントの重み。11ポイント先取で1ゲームを取ることとなる卓球の試合では、ひとつふたつポイントが動くだけでもがらりと雰囲気が変わる。その緊張感。

 

 男子団体がドイツと戦った準決勝、その結果は負け。緊張感のあるやり取りが続く試合のなか、相手に一方的にリードを取られる展開が続く場面もあった。それでも彼らはまっすぐに卓球台に向かう。まだゲームは終わっていない。そういう状況にあってゲームを放棄しないということはある意味当然なのだけれど、そのことにうっかり感動してしまった。ミスしても、相手に得点されても、そこはまだ夢の途中。仕事でミスしたり、うまくいかないことがあったときに落ち込む私は、いったい何に落ち込んでいたんだろう?「スポーツの力で感動を」なんてあちこちでペラペラ言われるくらいだから、感想としてはきっとすごく陳腐なものなんだろう。私はすごく、ふつうだ。

 

 そんなふうに考えていると、ここのところ感じていた腹立たしい感じの原因にも、なんとなく思い当たるものがあった。前もって言っておくと、これはすごくばかばかしい感情だ。ずっと前、もうすごくずっと前。このブログのことを知った知り合いが、声をかけてくれたことがあった。相手がどういうつもりで言った言葉だったのかはわからないけれど、少しだけ嫌な気持ちになった。こういうふうに文章を書いていることを、その出来栄えを揶揄されているように感じた。

 文章がへたくそでおもしろくもないのは、私の責任だ。だから、怒らなかった。それからしばらく経って、最近、その知り合いがSNSでエッセイを発表しているのを見かけた。私にはあんなことを言っておいて。そう思った。他人に認められる文章が私には書けないことの悔しさ、嫉妬で胸がいっぱいになった。この感情に気がついたとき、私は陳腐なまでに人間で、それも、弱い人間なんだと、改めて思った。

 

 このところ、雨が多すぎる。いや、北海道に雨はほとんど降っていないのだけれど。嫌な天気みたいな空気をたくさん吸ってしまう。私は建物じゃなくて人間なので、季節が変わるだけでだるくなったり眠くなったりするし、世の中が嫌な言葉であふれていると影響されてしまう。

 でも、ま、そうだな。建物みたいに頑丈でありたいと思うことのほうが、どちらかと言えば滑稽である。悔しくなったり感動したりしながら、だらだら漫画を読んだり、ねむくなってうっかり昼寝をしてしまったりして過ごしている。すごくふつうな私の、すごく、ふつうな日。

自転車の上が永遠と思えた日

 ローマ字の綴り方を覚えたのは、たしか小学4年生のことだった。英語の授業――と思いきや、現在の学習指導要領では、国語の授業に習うことになっているらしい。そういえば、あの頃の小学4年生の時間割には英語がなかったような気もする。英語の時間に習ったなんてことはそもそもありえないのだ。

 ともあれ、私はそうやってローマ字を習得した。そして、今では英語を読んだり話したりするためにローマ字を活用して――は、いない。そもそも日常で英語を使わないということもあるけれど、ふつうの日本人がローマ字を必要とする場面はやっぱり、英語よりも日本語を使う場面なのだろう。ローマ字の読み書きに関する知識を活用するのはもっぱら、こうやってキーボードを打つときだけだ。

 

 黎明期のインターネットの思い出というものが、私にはない。ダイヤルアップ回線でインターネットに接続したとか、インターネットを使うために夜までパソコンの前で待機したとか、そんな思いでもない。パソコンもインターネットも、気がついたらぬるりと生活のなかに溶け込んでいた。

 

 小学生のころに与えられた中古のノートパソコンは、インターネットに接続することができなかった。今思えば、接続することは可能だったんだと思う。インターネットの害悪を慮ってのことなのだろう、親は私にパソコンを与えても、ネットに接続する方法については教えなかった。

 それで私が熱中していたのが、オフラインでも遊べるタイピングゲームだ。簡単なアルファベットのタイプから始まって、だんだん文字数が増えてゆく。たのしかった。覚えたばかりのローマ字を、人差し指一本で入力してゆく。不器用に―――そんな時期が私にもあったのかもしれない。でもそれはとても短かったように思う。そうやって私の指はタイピングを覚えていった。

 

 やがてインターネットにつながったパソコンを使わせてもらえるようになると、インターネットはどんどん身近なものになっていった。好きなゲームのファンが集う掲示板があって、中学生の頃は毎日そこに通っていたように思う。たいして動きもない掲示板を毎日訪問した。キリ番を踏んだ人だけがつくってもらえる特別なアイコンがあって、それがまぶしかった。あのころは、WEBサイトを持っている中学生もめずらしくなかった。私も高校を卒業するまでの何年か、ホームページを運営していたことがある。20歳を超えてスマートフォンを持つようになってからの生活は言わずもがなで、インターネットはますます生活に欠かせないものとなった。

 

 スマホネイティブ世代はPCが使えない―――なんてことを聞いたことがあるけれど、私はスマートフォンを持ってからもPCを捨てていない。タイピングはますます上手になり、私はその指で、たとえばこんな日曜日をブログに残す。

 

 パンクしてしばらく乗れずにいた自転車を、その日友人が修理してくれた。例年になく暑い日が続く北海道の7月、日差しを避けて16時ころの自転車置き場に向かう。太陽は隣のアパートの向こう側に傾いていて、たっぷりした影が駐輪場を包んでいた。

 彼が、私の自転車の後輪からチューブを抜き取って、新しいチューブに入れ替えてゆく。「放置自転車から盗んできた」という、古いような新しいチューブだ。後輪からひととおりのパーツが外されて、ひととおりのパーツがまたもとに戻されてゆく。その作業が終わるまでの間、私は手持無沙汰になってしまった。それで、風が通る自転車置き場のコンクリートに座って、自転車が直されてゆくのをだらだらと見ていた。こういうときに煙草が吸えたりしたらいいのにな、と思った。

 

 修理が終わった後、自転車に乗って、アパートの前の駐車場をぐるぐると走った。はじめのうちはギアの切り替えが不安定なこともあったけれど、走りながらくるくると切り替えていくうちに、だんだんなめらかになってゆく。競泳用のプールほどの広さの駐車場をゆっくり回っている私の横で、友人は、パンクした部分を探すために用意したバケツの水やら、スパナやらを片付けている。久々に自転車に乗れることと、日陰で乗る自転車が涼しいこととで私は少しうれしくなって、しばらくの間駐車場をゆっくりと走りまわった。

 理由はわからないけれどそのとき、自転車に乗って旋回するその時間が永遠に続くような感じがした。永遠に続くような気がしたのは本当で、同時に、これは他の多くの日と同じように、あっという間に忘れてしまう一日のひとつに過ぎないのだとも感じていた。

 

 「SNSで個人が自由に情報発信できる時代になって、ライフログ的な意味合いのある作品が生まれてきている」と言われたのはブログのことではなく、アニメーション作品の話だ。昨年オンラインで開催された新千歳空港国際アニメーション映画祭に、「12月」というタイトルのついた短編アニメーション作品がノミネートされた。原題は「Half of Apple」。子ども部屋で勉強をしていた姉妹が半分ずつのリンゴをかじる、そんな何気ない日常の一場面をアニメーションの手法で切り取った作品である。


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 審査員のひとりが、この作品にふれて話したのが先ほどのコメントで、それはたしか映画祭の閉会式のなかでのことだったと思うのだけれど、残念ながら閉会式に関してはアーカイブを見ることができない。日常の一部を切り取るようなこうした作品は、短編作品ならではだ。長編作品でずっとこんなことをやる意味はないから。だけど、短編アニメーションとして切り取ることで、ライフログ的な意味合いができてきて、SNSなどで個人が自由に情報発信できる時代に育ってきた若い世代が、そういう作品をつくるようになってきている。……そんな話だったと思う。

 

 これはアニメーション作品の話、とさっき書いたけれど、多分アニメーション作品に限らず、いろいろなところで同じようなことが起こっていると思う。小説やイラストを誰でも投稿できるサイトができたり、Twitterで短歌を詠むことから始めた歌人が生まれたり。有名人でもなんでもない私が、駐車場で自転車に乗ったことをブログで書いたり。などなど。そうやって生まれた取るに足らない日常がいくつもひしめいている。今のインターネットはそういう場所だと思う。

 

 でも、ふつうの人がふつうの日々を切り取るということに、いったいどんな意味があるんだろう?私には、最近それがよくわからない。オリンピックで活躍するスポーツ選手、内なる葛藤を乗り越えてやっと幸せを手にするドラマの主人公、とてもたくさんの人に本が読まれている人気作家。そういう人たちに比べて、私の人生は、私の日常はとてもふつうでみすぼらしいものに思えて、こんな日々を切り取ることにいったいどんな意味があるのだろう、と思ってしまう。

 ドラマティックな出来事が起こらない人生でも、何気ない日常がかけがえのないものなのだ―――そういうふうに考えていたこともあったけれど、最近は本当にそうなのか疑問を抱き始めている。それは、意味があるのは挫折や葛藤や、その先の成功のある人生だけである―――ということを言いたいわけではない。意味のある人生とか、意味のない人生とか、そんな区別が本当にあるのだろうか?

 

 今の私には、どんな日も、どんな人生も特別ではないように感じられる。ただ、それが限りなく個別であるというだけだ。私は私ひとり分の空間を占めて世界に存在していて、誰も私と重なり合って存在することはできない。私は私がこれまでに経験してきた事柄でつくられていて、誰も私と同じ人間は存在しない。イケメンも、お金持ちも、どんなドラマティックな人生を送ってきた人も、ひとりがちょうどひとり分存在しているというそれ以上に存在することはできない。それ以下に存在することも、できない。ただきっかりひとり分として、すべての人が個人として存在している。

 誰かが特別だとか特別でないとかいうのは、ただそれだけのことのように思える。私は私でひとつしかない、今日は今日で一日しかない、繰り返さないし、取り戻せないし、替えられないものであるというそれだけしかないように思える。それを「誰もがかけがえのない人間だ/どの一日もかえがえのない一日だ」と言うのかどうかは、わからない。だってそれは、あまりにも当たり前のことだから。

 

 作品名を忘れたけど、何かの作品で、葬式の場面をみた。葬式の後親戚同士が会話をしていて、しかしその会話からは、たったいま火葬されたその人が「生きていた」感じが全然しないのであった。生前のその人がどんなキャリアを重ねてどんな役職に就いて亡くなったのか、そんなことばかりを話していて、その人が生きていたっていうのは、そういうことなんだろうかと感じた。履歴書に書かれるような人生のあらすじではなくて、渋柿が好きだったとか、車に乗ると気まずくていつも犬の話ばかりしていたとか、そういうのが、誰かが生きてるってことなんじゃないのかと思った。

 

 だとしたら、私がブログに綴る平凡で何も起こらない日常もまた、同じように「生きてる」ってことの証なんだろうか?夏の日に、修理した自転車を乗り回すようなことが。わからない。わからないけれど多分、ひとつしかない。あの夏の夕方の時間も、そのことを書いたこの記事も。

 そして、なんだかよくわからないまま、毎日は進む。今日は、この記事を書いて過ごした。書きながらおかきを4つ食べた。

 

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

わいせつゲーム

 このごろは、トップスもボトムスもオーバーサイズでゆったりと着こなすのが流行っているらしい。そういう服装を「だらしない」と感じる人もいるようだけれど、こういうトレンドは私にとってはうれしい。ゆったりした服が好きだ。Tシャツに余裕があると、気持ちまでなんとなくゆったりした感じがするし、それに服が風にはためいたりもする。

 夏は古代ギリシャの哲学者みたいに亜麻の布をまとって、冬は平安時代の女性貴族みたいに、たっぷり重ね着した着物で暮らしたい。なんとなく、優雅な感じもするし。

 

 キトンや十二単に対する憧れの源泉はいったいどこにあるのだろう?と記憶をたどってみると、それは海だった。美術図録で『アテナイの学堂』を目にするよりも、国語便覧に掲載された十二単に魅入られるよりも先に、海で出会ったものがあった。三保松原の羽衣伝説だ。

 

 そこに連れていかれたのはもうずっと前のことだ。ほかの多くの海岸と違って、特別な名前がつけられた、特別な海岸。きっとたいそうな海岸なのだろうと思った。しかし、海岸線に沿うように並んだ松林を抜けると、そこにある海はあまりにも平凡だった。だから、幼い私が夢中になったのは海岸ではなくて、砂浜からやや離れたところにある古い案内看板。そこに記された天女の羽衣伝説のほうだった。

  いい香りがするのだという。きっと軽くてやわらかくて、月明りのようなほのかな光を放つ、きれいな衣だったのだろう。絹、オーガンジー、チュール、薄くてひらひらした布の種類のいくつかを知った今でも、想像のなかの羽衣を超えるような美しい布は見つけられない。

 

 そんな天女の羽衣を思わせる、軽くてやわらかそうで、まっさらな白いタンクトップを透けて、ロングシートの向かいにそれはあった。肌着の上までもはっきりと主張する、おじいさんのふたつの乳首が。

  上半身肌着にチノパンのおじいさんは、麦わら帽子をかぶり、なにに使うのかもよくわからない、なにか長い棒を持って優先座席に座っていた。この種の老人を真夏の水田に見かけることはあっても、平日の通勤車両のど真ん中で遭遇するのははじめてだ。都会を象徴する地下鉄とおじいさんの格好とのギャップに、いささか心を乱される。ましてや、おじいさんの真正面の座席に座っている私は、さっきから彼の透ける乳首をずっと見せ続けられているのである。平静を失わずにはいられない。

 

 ふと、疑問が湧いた。電車のなかでタンクトップに乳首を透かすことで、彼が何らかの罪に問われることはないのだろうか?男性の上半身裸は、女性と比べてまだ世間的に許されている向きがある。そうでなければ、男性も浜辺でワンピースやビキニを着ていることだろう。海でなくても、上半身裸、あるいはそれに近い格好で田舎道を歩く男性は、そう珍しくはない。それに、おそらく彼に悪気があるわけでもないのだ。タンクトップに乳首を透かすことによって快感を得ようとか、そういった邪な考えからあの透けるタンクトップを着ているわけではない(多分)。とすれば、やはりこれは罪にはならないということだろうか。

 

 しかし、露出しているのが上半身ではなく下半身であったとしたらどうだろう?話は変わる。いくらパンツを履いていたとしても、ボトムスを脱いではいけない。そんなことをすれば、そのときこそなんらかのわいせつな罪に問われることだろう。私は法律をよく知っているわけではないけれど、直感がそう告げている。

 

 しかし、身体を露出することの、どこからが罪でどこまでが罪でないのだろう。アウト/セーフの判断を個別なケースに対して、下すことは、直感的に可能なように思われる。しかし、両者を線引きするラインがあるのかというと、よくわからない。

 

 ひとつ、試しにゲームをしてみたい。ワイシャツにネクタイ、ベルト、スラックス、靴下、革靴、下着のひとそろいを身につけたある人物がいる。彼を仮に、林氏としよう。これから、彼の衣服を一枚ずつ脱がせてゆく。なにをどういう順番で脱がせ、代わりになにを着せてもよいが、罪に問われるような恰好をさせてはならない。わいせつ罪を免れながら、どこまで脱がせることができるか。これは、そのギリギリを目指すゲームである。

 

 まずは林のネクタイとベルトを外してみる。当然無罪だ。しかし、これではあまりにも積極性に欠ける。さらに靴と靴下を脱がせてみよう。ワイシャツスラックスに裸足の男が、夏の路上にたたずんでいる。この時点ですでにかなり不審であるが、まだわいせつではない。無罪である。

 一歩踏み込んで、ここからさらにワイシャツを脱がせてみることにしよう。ここで林は、スラックスに肌着のタンクトップ状態になった。電車で乳首を透かしていたあのおじいさんと同じである。これもまだ無罪。おそらく。

 

 さらにタンクトップを脱がせる。林が女性である場合は、上半身をさらしたこの時点でアウトとなる可能性がある。しかし、男性の海パンが一般的に受け入れられている以上は、これもギリギリセーフということにしよう。優先席にスラックス裸足の男が座っていたら、かなりビビるのではあるが。

 

 ここまで順調に脱がせてきた林の衣服であるが、ここからさらにスラックスを脱がせるのはかなり厳しい。おそらくアウト。やりなおし。スラックスを履かせる代わりにワイシャツを着せてみる―――も、やはりアウト。スラックスと下着の組み合わせはOKでも、ワイシャツと下着の組み合わせは罪になる。直感がそう主張している。

 

 ここからさらに下着を脱がせるのはもちろん完全にアウトーーであるが、問題はおそらく下着をつけているかつけていないかということにあるのではない。下着を脱いだままでもスラックスを履けば問題ないし、一方で、下着を脱いだまま靴下を履いてもセーフになるわけではない。ポイントは下着の着用の有無でも、衣類の着用点数の問題でもないということだ。だから、全裸の林にぴちぴちの全身タイツを着せても罪にはならないし、あれ?透け透けの網スーツならどうなのだろう?着ているシャツやスラックスが、シースルーだったら?……わからなくなってきた。

 

 ともあれ、下着を脱ぐか脱がないかのあたりで激しい攻防が繰り広げられている状況を鑑みると、性器を露出しているか否かという点が非常に重要であるということが推測される。この点について調べてみると、やはり公然わいせつ罪に関しては、性器をしっかりとカバーしている限り、罪に問われることはないという。つまり、同じように全身をカバーしていたとしても、カラーの全身タイツはセーフで、シースルーはアウトである。

 

 ただし、身体の一部を露出して問われる罪は公然わいせつ罪だけではない。公共の場所で不特定多数を不快にさせるような露出をした場合は、軽犯罪法に問われる可能性がある。

 

 それでは林氏は、軽犯罪法に問われない範囲でどこまで露出できるのか。それはおそらく、そのときの状況による。夏のビーチに海パン一枚でいることになんの不自然さもないからと言って、市役所のロビーでそれをした場合に通報されない保証はない。もちろん、自宅で恋人相手に全裸を披露することにはなんの罪もない。それが本当に恋人であるならば、そして彼女が嫌がっていないのであれば――という条件があるのはもちろんのことだけれど。

 

 こうやって林を脱がせるゲームをしたことで、露出の作法がかなり身についたのではないだろうか。まだまだ暑い夏、こうした知見を役立てられる場面も少なくないだろう。そんな知識を身につけて、具体的になにをするつもりなのかって?……それは、あなたの想像にお任せしておく。

 

考える・始める

 日記はここしばらく更新が途絶えている。もともと、ここ数年はこまめに書いていたということでもない。記録に残しておきたいような特別な出来事が起こったとき。あとは観劇をしたときにその感想と、ついでにその日にあった出来事を書いておくくらいだった。と言っても、二年前までは平均して月に4・5回ほどは芝居を見に行っていたので、少なくともそれくらい以上の頻度で日記を書いていたということになる。

 めっきり日記を書かなくなったその理由は、もちろん、コロナの影響で演劇を観る頻度が少なくなっているためだ。

 

 その代わりに今年から書くようになったのが、映画の感想ノートだ。観た映画の基本情報をまとめ、感想を書く。はじめの頃は1ページに満たない感想であったのが、気がつけば一作品あたり2ページも3ページも続けて書くようになっていた。感想ノートをつけることで、意識的に映画を観ることができるようになってきている……のであればいいのだけれど。

 

 感想を書くときに、私が禁句にしている言葉がある。「考えさせられた」だ。「考えさせられた」と書くとき、実際のところ私は、何も考えていない。頭のなかに、もやもやと渦巻くなにかが渦巻いている。でも、それがなんなのかを突き止めるのが面倒なので、思考を停止している。あるいは、単に何も考えていない。それなのに、利口ぶって「考えさせられた」と書いている。自分一人のために書く文章ですら、これなのだ。自分にあきれてしまう。

 

 7月に買った本で『文章添削の教科書』と言う本がある。タイトルのとおり、文章を添削するための技術について書かれた本だ。そして、この本の帯には、次のようなコピーが書かれている。

 豊富な図解と添削例で、文章添削の理論と技術をわかりやすく紹介。

添削ができると、あなたの読む力、書く力、考える力は飛躍的に伸びます!

 

 大事なのは、添削ができることによって伸びるとされている「力」として、「読む力」、「書く力」に加え、「考える力」が挙げられていることだ。これは、すごくわかる。文章を書くことを文章を読むこと、それから考えることとはとてもつながっている。

 文章を読んでいる。私は日本語が読めるので、特に考えなくてもするすると読めていく。でも、内容をどの程度理解しているかというと、疑問もある。時には、目が文字の上を滑っているだけで、何も理解していないこともある。文章を添削する、一字一句のミスも見逃さない気持ちで文章を読む、という意識で読むことで初めて「考える」のスタートラインに立てるのだ。

 

 考える、からスタートするときにも、言葉にするということはとても大きな意味を持っていると思う。考えた内容を、具体的に言葉にすることだ。「考えさせられた」「考えた」とただ言うとき、私はたいてい何も考えていない。

 

 そういうわけで、日常のなかで触れたもの、感じたことを言葉に変える訓練を、もう少し増やしていこうと思う。このブログは映画のレビューブログではないし、ブログ記事にするにはやや言葉が足りない。だから、Twitterで始めてみた。

 

  

 これまで私がこういうことをあまりしてこなかったことには、他方で、「間違えたくない」という気持ちもあったと思う。映画も演劇も、読書も、言うてちょっとかじっただけの素人でしかなく、感じたことが、考えたことが間違いだったら、間違いだと言われたら嫌だなあと思っていたのだ。感じ間違えるっていったいなんなんだよ、と思うけれど、そういうことを気にするヤツなのだ。私は。

 

 それでも、まあとりあえずこんな無様なところからでも始めていきたい。今はただの真似事でも、いつか本当の「考える」ができるようになるために。