モリノスノザジ

 エッセイを書いています

わいせつゲーム

 このごろは、トップスもボトムスもオーバーサイズでゆったりと着こなすのが流行っているらしい。そういう服装を「だらしない」と感じる人もいるようだけれど、こういうトレンドは私にとってはうれしい。ゆったりした服が好きだ。Tシャツに余裕があると、気持ちまでなんとなくゆったりした感じがするし、それに服が風にはためいたりもする。

 夏は古代ギリシャの哲学者みたいに亜麻の布をまとって、冬は平安時代の女性貴族みたいに、たっぷり重ね着した着物で暮らしたい。なんとなく、優雅な感じもするし。

 

 キトンや十二単に対する憧れの源泉はいったいどこにあるのだろう?と記憶をたどってみると、それは海だった。美術図録で『アテナイの学堂』を目にするよりも、国語便覧に掲載された十二単に魅入られるよりも先に、海で出会ったものがあった。三保松原の羽衣伝説だ。

 

 そこに連れていかれたのはもうずっと前のことだ。ほかの多くの海岸と違って、特別な名前がつけられた、特別な海岸。きっとたいそうな海岸なのだろうと思った。しかし、海岸線に沿うように並んだ松林を抜けると、そこにある海はあまりにも平凡だった。だから、幼い私が夢中になったのは海岸ではなくて、砂浜からやや離れたところにある古い案内看板。そこに記された天女の羽衣伝説のほうだった。

  いい香りがするのだという。きっと軽くてやわらかくて、月明りのようなほのかな光を放つ、きれいな衣だったのだろう。絹、オーガンジー、チュール、薄くてひらひらした布の種類のいくつかを知った今でも、想像のなかの羽衣を超えるような美しい布は見つけられない。

 

 そんな天女の羽衣を思わせる、軽くてやわらかそうで、まっさらな白いタンクトップを透けて、ロングシートの向かいにそれはあった。肌着の上までもはっきりと主張する、おじいさんのふたつの乳首が。

  上半身肌着にチノパンのおじいさんは、麦わら帽子をかぶり、なにに使うのかもよくわからない、なにか長い棒を持って優先座席に座っていた。この種の老人を真夏の水田に見かけることはあっても、平日の通勤車両のど真ん中で遭遇するのははじめてだ。都会を象徴する地下鉄とおじいさんの格好とのギャップに、いささか心を乱される。ましてや、おじいさんの真正面の座席に座っている私は、さっきから彼の透ける乳首をずっと見せ続けられているのである。平静を失わずにはいられない。

 

 ふと、疑問が湧いた。電車のなかでタンクトップに乳首を透かすことで、彼が何らかの罪に問われることはないのだろうか?男性の上半身裸は、女性と比べてまだ世間的に許されている向きがある。そうでなければ、男性も浜辺でワンピースやビキニを着ていることだろう。海でなくても、上半身裸、あるいはそれに近い格好で田舎道を歩く男性は、そう珍しくはない。それに、おそらく彼に悪気があるわけでもないのだ。タンクトップに乳首を透かすことによって快感を得ようとか、そういった邪な考えからあの透けるタンクトップを着ているわけではない(多分)。とすれば、やはりこれは罪にはならないということだろうか。

 

 しかし、露出しているのが上半身ではなく下半身であったとしたらどうだろう?話は変わる。いくらパンツを履いていたとしても、ボトムスを脱いではいけない。そんなことをすれば、そのときこそなんらかのわいせつな罪に問われることだろう。私は法律をよく知っているわけではないけれど、直感がそう告げている。

 

 しかし、身体を露出することの、どこからが罪でどこまでが罪でないのだろう。アウト/セーフの判断を個別なケースに対して、下すことは、直感的に可能なように思われる。しかし、両者を線引きするラインがあるのかというと、よくわからない。

 

 ひとつ、試しにゲームをしてみたい。ワイシャツにネクタイ、ベルト、スラックス、靴下、革靴、下着のひとそろいを身につけたある人物がいる。彼を仮に、林氏としよう。これから、彼の衣服を一枚ずつ脱がせてゆく。なにをどういう順番で脱がせ、代わりになにを着せてもよいが、罪に問われるような恰好をさせてはならない。わいせつ罪を免れながら、どこまで脱がせることができるか。これは、そのギリギリを目指すゲームである。

 

 まずは林のネクタイとベルトを外してみる。当然無罪だ。しかし、これではあまりにも積極性に欠ける。さらに靴と靴下を脱がせてみよう。ワイシャツスラックスに裸足の男が、夏の路上にたたずんでいる。この時点ですでにかなり不審であるが、まだわいせつではない。無罪である。

 一歩踏み込んで、ここからさらにワイシャツを脱がせてみることにしよう。ここで林は、スラックスに肌着のタンクトップ状態になった。電車で乳首を透かしていたあのおじいさんと同じである。これもまだ無罪。おそらく。

 

 さらにタンクトップを脱がせる。林が女性である場合は、上半身をさらしたこの時点でアウトとなる可能性がある。しかし、男性の海パンが一般的に受け入れられている以上は、これもギリギリセーフということにしよう。優先席にスラックス裸足の男が座っていたら、かなりビビるのではあるが。

 

 ここまで順調に脱がせてきた林の衣服であるが、ここからさらにスラックスを脱がせるのはかなり厳しい。おそらくアウト。やりなおし。スラックスを履かせる代わりにワイシャツを着せてみる―――も、やはりアウト。スラックスと下着の組み合わせはOKでも、ワイシャツと下着の組み合わせは罪になる。直感がそう主張している。

 

 ここからさらに下着を脱がせるのはもちろん完全にアウトーーであるが、問題はおそらく下着をつけているかつけていないかということにあるのではない。下着を脱いだままでもスラックスを履けば問題ないし、一方で、下着を脱いだまま靴下を履いてもセーフになるわけではない。ポイントは下着の着用の有無でも、衣類の着用点数の問題でもないということだ。だから、全裸の林にぴちぴちの全身タイツを着せても罪にはならないし、あれ?透け透けの網スーツならどうなのだろう?着ているシャツやスラックスが、シースルーだったら?……わからなくなってきた。

 

 ともあれ、下着を脱ぐか脱がないかのあたりで激しい攻防が繰り広げられている状況を鑑みると、性器を露出しているか否かという点が非常に重要であるということが推測される。この点について調べてみると、やはり公然わいせつ罪に関しては、性器をしっかりとカバーしている限り、罪に問われることはないという。つまり、同じように全身をカバーしていたとしても、カラーの全身タイツはセーフで、シースルーはアウトである。

 

 ただし、身体の一部を露出して問われる罪は公然わいせつ罪だけではない。公共の場所で不特定多数を不快にさせるような露出をした場合は、軽犯罪法に問われる可能性がある。

 

 それでは林氏は、軽犯罪法に問われない範囲でどこまで露出できるのか。それはおそらく、そのときの状況による。夏のビーチに海パン一枚でいることになんの不自然さもないからと言って、市役所のロビーでそれをした場合に通報されない保証はない。もちろん、自宅で恋人相手に全裸を披露することにはなんの罪もない。それが本当に恋人であるならば、そして彼女が嫌がっていないのであれば――という条件があるのはもちろんのことだけれど。

 

 こうやって林を脱がせるゲームをしたことで、露出の作法がかなり身についたのではないだろうか。まだまだ暑い夏、こうした知見を役立てられる場面も少なくないだろう。そんな知識を身につけて、具体的になにをするつもりなのかって?……それは、あなたの想像にお任せしておく。