モリノスノザジ

 エッセイを書いています

noteをはじめました

noteにて、記事の更新を開始しました。

3年前からこのブログで書いてきた古い記事のリライトとなりますが、元の記事より1ミリでも読み甲斐のあるものになるよう挑戦していきます。こちらもぜひ。

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Twitterでは、ブログ・noteともに更新をお知らせしています。

切り口はまだ、やけにあざやか

 一人暮らしなのに食べ切れないほどのみかんを買って、たいていその何割かはだめにしてしまう。冬の空気で乾燥してしわしわになったみかんはこころなしか以前よりもやや縮んでいて、けれどもそんなふうに乾燥してもう食べられないと思われるみかんでも、半分に切ってみると意外となかはみずみずしく、そのみずみずしさを時に痛々しく感じることすらある。

 思い出もこんなふうに、もうずっと過去に通り過ぎてとっくに現実じゃない「思い出」になって、もう今の自分とは関係ないってどこか割り切っていたものが、ちょっとしたきっかけでありえないくらいあざやかに現実にもどってくることがある。それは、水気が少なくなって締まったみかんの断面みたいに、いつまでもほんのすこしの痛みを伴って。

 

 急に、昔の恋人のことを思い出していた。そのひとは私がはじめて付き合った異性で、私はそのひとのことを好きだったし、好きなままだった。けれど私たちは(きっと)お互いに好きなまま別れて、それはなぜかというと、ひとえに私に自信がなかったためなのだ。

 

 元恋人は私たちの所属していたサークルで副団長をつとめていて、その人柄から、団員のみんなに好かれていた。一方私はというと、まあみてのとおりだし、当時は人とのコミュニケーションのとりかたがたぶん上手でなかったために、はっきりと「トラブル」なんて言葉で表現するような事件がなかったとしても、まわりの人たちとの関係にわだかまりを感じることは少なくなかった。きっと、私に対してなんらかのわだかまりを抱いている人もいるだろう、そうも感じていた。

 加えて、あのころの私は楽器もまともに演奏できる状態ではなかった。いつからか、楽器を構えると咳がとまらないようになってしまったのだ。いくつかの病院を受診したけれどその原因はわからなくて、結局私は楽器を吹けないままサークルをやめてしまった。そして、恋人とも別れた。私は恋人のようにはまわりの人たちに好かれていないと”感じていた”し、楽器が吹けなくてサークルに貢献できない自分は、なおさら恋人には不釣り合いだと”感じていた”。

 

 今思えば、楽器を持つと咳が出るというのは、おそらく肺や器官が悪かったのではなくて、ストレスを原因とする精神的なものだったのだろう。けれどあのときの自分はそういった可能性に気がつくことができなかったし、そういうことを助言してくれるような知識のある人に相談することもできなかった。それどころか、そういった自分のことについて、専門家でもない誰かに相談することさえできなかった。

 

 突然サークルを辞めたことを、突然別れを切り出したことを、彼らはこころよくなんて思っていないだろう。あのときの自分にはもっとほかに取りうる方法があったし、そうすべきであった。そうしたら、私は、そして彼らも、そして私たちも、今とはまったく違った過去を、そして今を歩いていたのかもしれない。

 

 けれど、私はそんなふうに過去の自分を責められはしない。克明に思い出せば出すほど、あのときの自分にはほかにどうしようもなかったとしか思えなくなって、むしろ、ひどくつらかったんだろうな、と思う。自分自身がそうと自覚していなくても、あのときの自分は、そしてそれを悔やんで生きてきた20代のころの自分はすごくつらかったはずだ。誰にも助けを求められずに、ひたすらに自分のこととして、無知で、欠けていながらも一生懸命に向き合ってきたあの日々は、苦しい日々だったと思う。

 私は間違っていたけれど、その時の私がそのことに気がつくことはできなかったし、その日々を耐え抜いたからこそ今があるとも思う。

 

 私は無知で自分勝手で、人間として欠けているところがたくさんあるから、あのときにも、それ以外にも、たくさんの人に迷惑をかけて生きてきた。自分に非がないのに突然別れを切り出された恋人も、そばにいた友人も、ほんとうは謝りたいことばっかりで、でもそれはせずにただ今は会わないでいる。

 そういう自分を、ときどきなかったことにしたくなるけれど、もしもあのときの自分が「なかったこと」になるのだとしたら、「いま」はどうなるのだろうか?きっと私は今もあのときのまま、なかったことにしたい自分のままなのだろう。そう考えると、あの痛みはなかったことにはならない。私がかけた迷惑のいくつもも、なんか、仕方ないのだ。迷惑をかけた人たちには、申し訳ないけれど。そうやって正当化するしか方法がない。

 

 人と人が何度でも出会いなおせるのなら、あのとき近くにいてくれた人たちともう一度出会いなおしたい。あのときの私ではなくて、今の私と。もう少し健全にできるから。もう少し上手にできるから。がんばるから…そういうふうに考えている私のなかに、まだ過去の自分が残っていることに気がつく。他人と関係に関する考え方のなかに、あのときの自分がまだ残っている。私はまだ、だめなままなんだよ。

大吉人間、あらわる

 感染症対策、ということで元旦の参拝を遠慮して、せめて三が日が過ぎるまでとは見送って、仕事がはじまったらそれどころではなく、それからはすっかり忘れてしまっていたものだから、先月になってようやく「初詣」をした。とは言え「初詣」にははっきりとしたリミットがないそうだから、これはれっきとした「初詣」である。恥じることはない。「初詣」はその年ではじめての参拝を指す言葉であって、必ずしも正月中に詣でなければならないというわけではないらしい。よかった。

 ついでに言うと、初詣の対象は神社には限られない。寺院でもいい。正月だけ神社に行き、年末にはクリスマスを祝う私が言うのもなんなのだが、日本の神さまがいい加減――もとい、広い心の持ち主でよかったと思う。

 

 五円ぽっちの賽銭を投げて自分勝手なお願いをしたあと、人気のない社務所でおみくじを引く。おみくじは毎年引いていて、ふしぎなことにここしばらくは大吉以外を引いたことがない。少なくとも過去5年くらいは大吉を引き続けているはずだ。そう記憶している。「今年も大吉だ」という記憶、そして一年を終えたあとの「やっぱり大吉だっただけある」という記憶だけが私のなかに何年分も連なっている。一緒に詣でた家族はちゃんと大吉以外のおみくじを引いているのだから、大吉しか引けないくじというわけではない。私は奇跡の大吉人間なのだ。

 

 「やっぱり大吉だっただけある」とは言っても、別に振り返って検証をしているわけではない。同じようにおみくじを引くほかのたくさんの人たちがそうであるように、検証に耐えるような内容をおみくじに期待してなんていないのだ。だれもおみくじに未来を言い当てることは期待しないし、おみくじに書かれたことが事実にならなくったって、だれも神社を訴えたりはしない。

 たとえば「旅行:さわりなし」と書かれたおみくじを引いた人が、旅先で重大な交通事故に遭うことがあったとしても、別におみくじが嘘をついたとは考えないだろう。「おみくじにあんなことが書かれてさえいなければ、旅行になんて行かなかったのに」と目くじらを立てることもない。おみくじはおみくじと割り切るか、それどころか正月に引いたおみくじに「旅行:さわりなし」と書かれていたことすら忘れているにちがいない。おみくじなんてその程度のものだ。

 じゃあどうしておみくじを引くのかと言えば、それは一種の縁担ぎであり、娯楽である。大吉を引けばなんとなくうれしいし、それを引いたのが年始めであれば、その一年はきっといい年になるんじゃないかって気持ちに満ちてくる。一緒におみくじをひいた誰かと、悪い運勢を笑いあうのもいい。だらだらと続く時間にはなにか、区切りみたいなものが必要で、もしかしたらおみくじはここから新しい時間がはじまることのひとつの目印のようなものでもあるのかもしれない。

 

 いずれにしてもおみくじは宝くじやなんかとは違って、後からまじめに内容を見返すような、そんな代物ではないってことだ。

 おみくじは神社の木に結んでも、結ばずに持ち帰ってもどちらでもいいらしいのだけれど(ここでも日本の神様はいい加減)、多くの人がおみくじを持ち帰らずに神社に結んで帰るのも、おみくじに書かれた内容を後で検証する必要がないからだろう。多くの人はおみくじを引いたその場でなんとなくうれしい気持ちになったり、なんとなくちょっと落ち込んだふりして友達と盛り上がったりして、それから日常に戻って、おみくじに書かれたことはだんだん忘れていくのだ。

 

 「大吉は持ち帰る、それ以外は木に結ぶ」という説もあって、それに従って毎年おみくじを持ち帰っている。でも、別に見返したりはしない。日記におみくじを貼って、ああ今年も大吉だったなとしみじみ思っては、年末に「やっぱり大吉の一年だったな」と思い返す。そのときに、年始にひいたおみくじの内容を見返すことはない。ただ、おみくじのいうように今年もなんだかんだ大吉な一年だったなと思い返して、また大吉のおみくじを引くだけだ。

 

 と、そう思っていたのだけれど、違った。何もかも違う。日記に貼ったおみくじを5年間振り返ってみると、大吉を引いたのは去年と3年前の二回だけ。凶こそ引いてはいないものの、それ以外は吉とか末吉とかさえない引きだ。

 どうやら、私の記憶のなかでおみくじの結果が「大吉」であったことに改ざんされていたらしい。私はその改ざんされた記憶を振り返っては「今年もおみくじの言うとおり、大吉の一年だった」とよろこんでいたのだ。とんだ大吉人間である。めでたいのは、おみくじじゃなくて私のほうだ。

 

 かと言って、大凶を引いた年の年末に「なるほど大凶な一年だったな」と振り返ることが正しいのか、勘違いでも「やっぱり大吉の一年だったな」と振り返るのが正しいのかはわからない。なんとなくだけど、馬鹿でもずっと大吉を信じて生きていたいような気もする。ちなみに、今年引いたおみくじは――やっぱり、大吉だったんだと思う。

 

 

ほんの記録(3・4月)

 何年も前のちょうど、今ごろ。大学に入学したばかり、一人暮らしを始めたばかりの私の家に、友人がやってきた。大学に入ってはじめてできた友人で、部屋に友人が遊びに来るのもはじめてだった。

 ただひとつ残念だったのは、先輩がひとりくっついてきたことだ。誘ってもいないのに、いつの間にやらわが家へ向かう列に加わっていた。そして、部屋に着くなり私の本棚を覗き込んで言うのだ。

「ひとの本棚を見ると、その人がどんな人なのかだいたいわかるよね」

 その言葉には明らかに私に対する嘲りの色がにじんでいて、それで何を言いたいのかなんとなく分かった。彼の指さした先には、当時流行っていた涼宮ハルヒシリーズのスピンオフ漫画『長門有希ちゃんの消失』があって、ただでさえ幼い私の本棚がいっそう恥ずかしくおもえたものだ。

 彼の言葉にはうなづけないものがないわけでもないし、このとき彼にそう言われていなければ私が同じ言葉を誰かに投げかけることがあったかもしれない。けれども実際のところ、本棚にどんな本が置かれているかということ、それだけからその人がどんな人なのかを理解することは難しくて、むしろ大切なのはそれらの本を読んでその人がどう感じ、どう考えたのかということのほうだろう。

 読むこともそれと同じで、どんな本を買い、どんな本を持っているかが私にとって重要なのではない。そんなことを考えながら、これは3月と4月に買った本に関する、ほんの記録。

 

 

宮下規久朗『モチーフで読む美術史』/『しぐさで読む美術史』

 西洋の絵画にはキリスト教の教義を伝えるために描かれたものも多い。その描かれ方には一種の「お約束」や「目印」のようなものがあるのだけれど、キリスト教徒ではない日本人の私の目は、そういったたくさんの読み解き目印を見逃してしまう。

 この本は、絵画で用いられるモチーフや描かれるしぐさについて解説したもの。基本的には1テーマにつき見開き1ページという構成になっていて、こういう本が常に一冊手元にあると、歯みがき中とか通勤中とか、ちょっとした時間にさっと読めていい。

モチーフで読む美術史 (ちくま文庫)

モチーフで読む美術史 (ちくま文庫)

 

 

 廣野由美子『批評理論入門ー『フランケンシュタイン』解剖講義』

 短歌を読んで、映画をみて、小説を読んで、自分なりに考えたりもするのだけれど――いや、いったい”何を”考えているというのか?文学作品をどう読めばいいのか(恥ずかしながら)私は理解していなくて、それゆえに何かを読んだ私から出てくるのは単なる「感想」に過ぎない。

 批評について勉強してみたいと考えて、この本を選んだ。まだ冒頭の数十ページしか読めていないのだけれど、すでに目から鱗。作品を読みとくとはこういうことなのか。早く続きが読みたい。

 

柳田国男『婚姻の話』

 私には結婚がどういうものなのかわからない。結婚するということの本質はどこにあって、結婚によりどのような効果が発生するのか。

 そして、結婚や家族をめぐる制度に関して議論されるときには必ず「伝統的な家族のあり方」といったワードが出てくるけれど、この伝統的なる家族のあり方というのはいったいどの程度以前からこの国にあったものなのか。今日の婚姻制度が近代的な憲法の成立とともにできたものだとすれば、伝統と言ってもたかが百年とか二百年とかその程度のものではないのか?昔の人たちは「家族」というものをどう考え、どう暮らしていたのだろうか?

 この本に収録された論文の多くは終戦後に書かれたもので、新憲法(現在の日本国憲法)が成立して、日本社会が様々な面で大きく変化していた時期にあたる。かつての日本で行われていた婚姻の習俗のあり方を読んでいると、私たちが「伝統」と思い込んでいたものとはいったい何だったんだろうと思わされる。

 結婚はこれから家庭をもつ若い人たちの問題なのに、ただ年取ったものばかりでその問題を論じようとしている、とか、これから少子化が進むだろうといったことも書かれていて、ずっと昔に書かれたことなのに現在と響き合うところがあるのを面白く感じる。

婚姻の話 (岩波文庫)

婚姻の話 (岩波文庫)

  • 作者:柳田 国男
  • 発売日: 2017/07/15
  • メディア: 文庫
 

 

沼澤茂美・脇屋奈々代『美しい星座絵でたどる四季の星座神話』

 選ぶ本があまりにも人文系に偏りすぎているので、たまには違った本を、と歩きまわった理学書フロアで購入した本。しかし、中身は神話なので実質文学寄りですね…。

 星座神話としてよく知られているメソポタミア・ギリシャ由来の神話だけではなくて、世界各地の神話が取り上げられている。ギリシャ神話由来でおおぐま座と見られる星々が、遠く離れたアメリカ・インディアンでも同じおおぐまの形の星座として見られているという話とか、はじめて知ることがたくさんあって面白い。絵もきれい。

四季の星座神話: 美しい星座絵でたどる

四季の星座神話: 美しい星座絵でたどる

 

 

 広瀬巌『パンデミックの倫理学』

 政府がする新型コロナウイルス対策に対して、どうしてこうなんだろう?と疑問を抱いたり、ややイライラした気持ちになることもないではないけれど、じゃあどうすればいいんだと言われると私にもよくわからない。

 この本は、WHOでパンデミック対策の倫理指針策定に携わった著者が、その結果をまとめて2008年に公表されたワーキングペーパーの内容、そして2020年に起こった新型コロナウイルスのパンデミックを踏まえて著したもの。倫理学の基本的な考え方からスタートして、ワクチンの配分方法、ベッドの割り振り方など、現実に即した問題を論じている。
 よりシンプルで直感的に判断することもできそうな問いからスタートして、徐々に具体的で現実的な場面での問いへと導かれる。新型コロナウイルスの蔓延に対してどう対処すべきかという問題は、単に経済の問題であるとか、単に医療の問題であるということはなく、現実的には様々な問題が入り混じった複雑な判断である。倫理的にどうすべきか?というのもまたそのうちのひとつであるのだけれど、その一つをとっても簡単に白と黒を区別できるものではないということを、改めて考えさせられた。

 

 河合祥一郎『シェイクスピア』

 シェイクスピアは、戯曲の読み方がわかっていなかったころに一度読んで、そのときはとても最後まで読めなかった。けれど、二カ月前に同じ著者の『リア王の悲劇』を読んでみて、シェイクスピアってこんなに面白かったのかと気がついた。それで、この本。

 どうでもいいことだけど、シェイクスピアって「シェイク・スピア」だったんだな、というのが心に残っている。 

シェイクスピア 人生劇場の達人 (中公新書)

シェイクスピア 人生劇場の達人 (中公新書)

 

 

 瀬川拓郎『アイヌと縄文ーもうひとつの日本の歴史』

 北海道・北東北の縄文遺跡群のHPを読んでみたら、知らないことばかりだった。北海道内にも縄文時代の遺跡が数多く残っていること。本州で縄文時代が終わった後も、北海道には「続縄文時代」「擦文時代」といった独自の時代区分があること。縄文人とアイヌ文化の間には何かしらのつながりがありそう?なこと。

 北海道の博物館は本州とだいぶ変わっている。縄文時代の展示から始まるのは同じとして、北海道では縄文時代の船や矢じりが展示されているすぐ次からもう近代になってしまうのだ。そのことを私は、縄文時代が終わったら北海道にはアイヌの人たちが住むようになって?アイヌの人たちは文字を残さなかったから、本州の人々が北海道にやってくるまでの間の記録がなにも残っていないのだ、と思っていたのだけれど、それがいかに無知であったのかを思い知らされた。縄文人ネットワークの広さにも、北海道で起こっていた動きにも、初めて知ることばかりだった。

 

谷川 由里子『サワーマッシュ』

 短歌の歌集に帯がついていると、そこに帯文が載っていたり(これはふつうの本と一緒)短歌が何首か載っていたりするのがだいたいの場合なんだけれど、その帯に書かれた数首の短歌を読んで、この本は私の家にやってくることになるだろうと確信した。ほしい歌集は手に入るうちに買っておかなければ。 

サワーマッシュ

サワーマッシュ

 

 

 4月はなかなか時間がとれなくて、久々に行った本屋で本がものすごい勢いで私の腕に飛び込んできた。まるで砂漠で水を飲むみたいに、本に対する貪欲さが私のなかにこんなにもあったなんてと驚くくらいだった。

 本を読む時間も、本屋に売っていたらいいのにな。最後まで読み終えていない本がたまるばかりだ。

涙、よくわからない

 いつもどおりのゆるい朝の挨拶を交わして、デスクに座った先輩が「Windowsのアップデート、した?」と聞いてきた。なんでも現在使用しているバージョンは来月でサポート切れになるだとかで、システム担当者からアップデートを指示されていたのだ。「10分くらいで済みましたよ」と答えると、先輩は「ほんとに?」と驚いている。「ボタンをクリックしたり、作業をするのが10分くらいで、そのあと待つのが1時間か2時間くらいです」と言い直した。

 

 「今日、中抜けしたいんだよね」と話す先輩に相づちを打ってから、デスクの上に置かれていた資料の礼を言う。昨夜のうちに先輩がつくって置いておいてくれたのだ。話題は変わって、引継ぎはいつがよいかと聞かれる。いつでもいいですと答えて、それからふいに思いつく。思いついたままに「中抜けするなら、その前にしとけばいいんじゃないですか。アップデート」と言って、言ったそばから発言を取り消したい気分になった。今は引継ぎの話をしていたのに、どうして中抜けとアップデートの話に戻るのか。

 それでも先輩は、わかってくれたのかわからなかったのか、ああ、そうだねなんて返事をしてくれて、それから数時間後、私はアップデート中のPCの前で先輩から引継ぎを受けた。

 

 人事異動の春がきた。と言っても、私自身が異動したわけではない。今いる部署はほぼ例外なく4年間で他の部署へ異動することになっていて、私は今年で4年目。今年異動するのは先輩。私がここに来てから3年間、お世話になった先輩だ。

 この異動はずっと前から決まっていたことだ。だから、2年目のときには「先輩はあと2年で異動してしまうんだなあ」とおもったし、去年は「あと1年」とおもった。そうして迎えたこの朝に職場でふたりしかいない状況で、今のうちにお礼のプレゼントを渡してしまおうとおもったのに、さっきから目がうるうるしている。平気な顔でプレゼントを渡すだなんて、できそうもない。プレゼントは先輩の分しか用意していないのに、結局朝の時間は渡すことができなかった。泣いてしまいそうだった。

 

 私はよく泣く。少なくとも、一週間に一度は泣く。映画の予告を見ては泣き、テレビでちょっといいニュースを見ては泣き、夜中に親のことを考えたりしては泣き、ブログを読んでは泣き、職場でちょっと悲しいことがあったらトイレでこっそり一滴分の涙を流したりもする。

 この間友人に「この前いつ泣いた?」と尋ねたところ、彼は「大人になってからは泣いたことがない」ということだったから、私は彼の人生何回分もの涙をほんの短い期間に流していることに違いない。

 私は悲しいときだけじゃなくて、腹立たしいときもうれしいときも涙を流している。ときには、それがなんの感情の表れなのかわからないこともある。別れの涙も、その一つだ。

 

 結局のところ、私は泣いてしまった。終業のベルが近づくにつれて心がざわざわしてはトイレで深呼吸をしたり、ストレッチをしたりして、それなりに大丈夫な気はしていたのだ。それでも、職場のみんなの前で挨拶をする先輩の声を聞きながら、私の目はコロコロした涙を次から次へとマスクのなかへ落としていた。

 今考えれば、3年間のお礼と言うには心もとないような気もするプレゼントを渡しながら、先輩は「私のために泣いてくれるなんて、うれしいです」と言ってくれたけれど、それは先輩のための涙だったのだろうか。別れの涙は悲しいなのかどうかもわからなくて、よくわからない。よくわからない涙だ。

 

 「死ぬわけじゃないから。また会えるから」と言われることがある。けれど、生きたまま別れるのが死に別れるよりもつらくないと言い切れるだろうか。好きな人が死んでしまって、永久に会えなくなるのは悲しいことだ。けれど、別れたままいつでも会えるのに、いつまでも会わないでいるのもまた悲しいことだ。そして、私たちはきっと自ら会おうとはしないとおもう。

 

 この3年間、いろいろな話をした。庭のカーポートに毎年雀が巣をつくるだとか、近所にできたコメダコーヒーの話だとか。それでも仕事終わりに一緒に飲みに行くだとか、休みの日にバーベキューをするということはなく、それは単なる職場の付き合いに過ぎなかった。そして、きっとこれからもそうだろう。そして私は、先輩のそういう、必要以上に他人のテリトリーに踏み込もうとしないバランス感覚のよさも好きだったのだ。

 私たちはたまたまこの職場で出会って、それは運命の出会いでもなんでもなかったのだとおもう。だから私たちはふたたびばらばらになって、これからはそれぞれの道を歩いていく。この3年は私たちの行く道が偶然この職場で重なっただけで、だからこそ、その偶然を失ってふたたびばらばらになってしまうことが悲しいのかもしれない。

 大切なつながりというのは家族とか友人とか恋人とか、そんな名前のついた関係のなかだけにあるわけじゃない。名前もないような、ささやかで、ほんの偶然によって出会ったり別れてしまうような人の関係のなかにも、何かがある。それはなんだか、生きているってことそのもののようにも思える。そういう名前のない関係のなかに、日々があるみたいな、そんなふうにも感じる。

 

 人はいつか死ぬから、すべての人は生きながら絶対的な別れに向かって走り続けている。別れはいつかやってくる。別れはいつかやってくると、そうわかっていながら、それでもやっぱり別れのときには涙を流してしまうものなんだろうか。別れはいつかやってくると知りながら、まるでそのことを忘れてしまっているみたいに、庭のカーポートや、郊外にあるコストコの話なんかをしたりしながら、人生もまたそうやって少しずつ過ぎていくものなのだろうか。

 

 

 人事異動の春がきた。先輩がいなくなった席には新しくやってきたおじさんが座り、私はおじさんに仕事を教えている。Outlookもうまく使いこなせないおじさんに昼間はつきっきりで、終業後、すっかり静かになったオフィスでようやく取り組むのは、よその職場へ駆り出されて今はいない同僚の仕事だ。

 なんだかな、と思わないこともないけれど、そういうときには3年前のことを思い出す。あのとき、この職場にきたばかりで右も左もわからない私に先輩はつきっきりで教えてくれた。言葉で教えるだけじゃなくて、いつも近くで一緒に手を動かして、必要なときには一緒に身体を動かして。ベルがなって私が職場を後にするときも、先輩はなんでもないみたいにデスクに座ったまま、それから自分の仕事を始めていたのだとおもう。

 そんなことを思い出しているとなんだかまた目頭が熱くなってくる。「悲しい」でも「悔しい」でもないはずの、やっぱりこれは、なんだかわからない涙だ。