モリノスノザジ

 エッセイを書いています

大吉人間、あらわる

 感染症対策、ということで元旦の参拝を遠慮して、せめて三が日が過ぎるまでとは見送って、仕事がはじまったらそれどころではなく、それからはすっかり忘れてしまっていたものだから、先月になってようやく「初詣」をした。とは言え「初詣」にははっきりとしたリミットがないそうだから、これはれっきとした「初詣」である。恥じることはない。「初詣」はその年ではじめての参拝を指す言葉であって、必ずしも正月中に詣でなければならないというわけではないらしい。よかった。

 ついでに言うと、初詣の対象は神社には限られない。寺院でもいい。正月だけ神社に行き、年末にはクリスマスを祝う私が言うのもなんなのだが、日本の神さまがいい加減――もとい、広い心の持ち主でよかったと思う。

 

 五円ぽっちの賽銭を投げて自分勝手なお願いをしたあと、人気のない社務所でおみくじを引く。おみくじは毎年引いていて、ふしぎなことにここしばらくは大吉以外を引いたことがない。少なくとも過去5年くらいは大吉を引き続けているはずだ。そう記憶している。「今年も大吉だ」という記憶、そして一年を終えたあとの「やっぱり大吉だっただけある」という記憶だけが私のなかに何年分も連なっている。一緒に詣でた家族はちゃんと大吉以外のおみくじを引いているのだから、大吉しか引けないくじというわけではない。私は奇跡の大吉人間なのだ。

 

 「やっぱり大吉だっただけある」とは言っても、別に振り返って検証をしているわけではない。同じようにおみくじを引くほかのたくさんの人たちがそうであるように、検証に耐えるような内容をおみくじに期待してなんていないのだ。だれもおみくじに未来を言い当てることは期待しないし、おみくじに書かれたことが事実にならなくったって、だれも神社を訴えたりはしない。

 たとえば「旅行:さわりなし」と書かれたおみくじを引いた人が、旅先で重大な交通事故に遭うことがあったとしても、別におみくじが嘘をついたとは考えないだろう。「おみくじにあんなことが書かれてさえいなければ、旅行になんて行かなかったのに」と目くじらを立てることもない。おみくじはおみくじと割り切るか、それどころか正月に引いたおみくじに「旅行:さわりなし」と書かれていたことすら忘れているにちがいない。おみくじなんてその程度のものだ。

 じゃあどうしておみくじを引くのかと言えば、それは一種の縁担ぎであり、娯楽である。大吉を引けばなんとなくうれしいし、それを引いたのが年始めであれば、その一年はきっといい年になるんじゃないかって気持ちに満ちてくる。一緒におみくじをひいた誰かと、悪い運勢を笑いあうのもいい。だらだらと続く時間にはなにか、区切りみたいなものが必要で、もしかしたらおみくじはここから新しい時間がはじまることのひとつの目印のようなものでもあるのかもしれない。

 

 いずれにしてもおみくじは宝くじやなんかとは違って、後からまじめに内容を見返すような、そんな代物ではないってことだ。

 おみくじは神社の木に結んでも、結ばずに持ち帰ってもどちらでもいいらしいのだけれど(ここでも日本の神様はいい加減)、多くの人がおみくじを持ち帰らずに神社に結んで帰るのも、おみくじに書かれた内容を後で検証する必要がないからだろう。多くの人はおみくじを引いたその場でなんとなくうれしい気持ちになったり、なんとなくちょっと落ち込んだふりして友達と盛り上がったりして、それから日常に戻って、おみくじに書かれたことはだんだん忘れていくのだ。

 

 「大吉は持ち帰る、それ以外は木に結ぶ」という説もあって、それに従って毎年おみくじを持ち帰っている。でも、別に見返したりはしない。日記におみくじを貼って、ああ今年も大吉だったなとしみじみ思っては、年末に「やっぱり大吉の一年だったな」と思い返す。そのときに、年始にひいたおみくじの内容を見返すことはない。ただ、おみくじのいうように今年もなんだかんだ大吉な一年だったなと思い返して、また大吉のおみくじを引くだけだ。

 

 と、そう思っていたのだけれど、違った。何もかも違う。日記に貼ったおみくじを5年間振り返ってみると、大吉を引いたのは去年と3年前の二回だけ。凶こそ引いてはいないものの、それ以外は吉とか末吉とかさえない引きだ。

 どうやら、私の記憶のなかでおみくじの結果が「大吉」であったことに改ざんされていたらしい。私はその改ざんされた記憶を振り返っては「今年もおみくじの言うとおり、大吉の一年だった」とよろこんでいたのだ。とんだ大吉人間である。めでたいのは、おみくじじゃなくて私のほうだ。

 

 かと言って、大凶を引いた年の年末に「なるほど大凶な一年だったな」と振り返ることが正しいのか、勘違いでも「やっぱり大吉の一年だったな」と振り返るのが正しいのかはわからない。なんとなくだけど、馬鹿でもずっと大吉を信じて生きていたいような気もする。ちなみに、今年引いたおみくじは――やっぱり、大吉だったんだと思う。