切り口はまだ、やけにあざやか
一人暮らしなのに食べ切れないほどのみかんを買って、たいていその何割かはだめにしてしまう。冬の空気で乾燥してしわしわになったみかんはこころなしか以前よりもやや縮んでいて、けれどもそんなふうに乾燥してもう食べられないと思われるみかんでも、半分に切ってみると意外となかはみずみずしく、そのみずみずしさを時に痛々しく感じることすらある。
思い出もこんなふうに、もうずっと過去に通り過ぎてとっくに現実じゃない「思い出」になって、もう今の自分とは関係ないってどこか割り切っていたものが、ちょっとしたきっかけでありえないくらいあざやかに現実にもどってくることがある。それは、水気が少なくなって締まったみかんの断面みたいに、いつまでもほんのすこしの痛みを伴って。
急に、昔の恋人のことを思い出していた。そのひとは私がはじめて付き合った異性で、私はそのひとのことを好きだったし、好きなままだった。けれど私たちは(きっと)お互いに好きなまま別れて、それはなぜかというと、ひとえに私に自信がなかったためなのだ。
元恋人は私たちの所属していたサークルで副団長をつとめていて、その人柄から、団員のみんなに好かれていた。一方私はというと、まあみてのとおりだし、当時は人とのコミュニケーションのとりかたがたぶん上手でなかったために、はっきりと「トラブル」なんて言葉で表現するような事件がなかったとしても、まわりの人たちとの関係にわだかまりを感じることは少なくなかった。きっと、私に対してなんらかのわだかまりを抱いている人もいるだろう、そうも感じていた。
加えて、あのころの私は楽器もまともに演奏できる状態ではなかった。いつからか、楽器を構えると咳がとまらないようになってしまったのだ。いくつかの病院を受診したけれどその原因はわからなくて、結局私は楽器を吹けないままサークルをやめてしまった。そして、恋人とも別れた。私は恋人のようにはまわりの人たちに好かれていないと”感じていた”し、楽器が吹けなくてサークルに貢献できない自分は、なおさら恋人には不釣り合いだと”感じていた”。
今思えば、楽器を持つと咳が出るというのは、おそらく肺や器官が悪かったのではなくて、ストレスを原因とする精神的なものだったのだろう。けれどあのときの自分はそういった可能性に気がつくことができなかったし、そういうことを助言してくれるような知識のある人に相談することもできなかった。それどころか、そういった自分のことについて、専門家でもない誰かに相談することさえできなかった。
突然サークルを辞めたことを、突然別れを切り出したことを、彼らはこころよくなんて思っていないだろう。あのときの自分にはもっとほかに取りうる方法があったし、そうすべきであった。そうしたら、私は、そして彼らも、そして私たちも、今とはまったく違った過去を、そして今を歩いていたのかもしれない。
けれど、私はそんなふうに過去の自分を責められはしない。克明に思い出せば出すほど、あのときの自分にはほかにどうしようもなかったとしか思えなくなって、むしろ、ひどくつらかったんだろうな、と思う。自分自身がそうと自覚していなくても、あのときの自分は、そしてそれを悔やんで生きてきた20代のころの自分はすごくつらかったはずだ。誰にも助けを求められずに、ひたすらに自分のこととして、無知で、欠けていながらも一生懸命に向き合ってきたあの日々は、苦しい日々だったと思う。
私は間違っていたけれど、その時の私がそのことに気がつくことはできなかったし、その日々を耐え抜いたからこそ今があるとも思う。
私は無知で自分勝手で、人間として欠けているところがたくさんあるから、あのときにも、それ以外にも、たくさんの人に迷惑をかけて生きてきた。自分に非がないのに突然別れを切り出された恋人も、そばにいた友人も、ほんとうは謝りたいことばっかりで、でもそれはせずにただ今は会わないでいる。
そういう自分を、ときどきなかったことにしたくなるけれど、もしもあのときの自分が「なかったこと」になるのだとしたら、「いま」はどうなるのだろうか?きっと私は今もあのときのまま、なかったことにしたい自分のままなのだろう。そう考えると、あの痛みはなかったことにはならない。私がかけた迷惑のいくつもも、なんか、仕方ないのだ。迷惑をかけた人たちには、申し訳ないけれど。そうやって正当化するしか方法がない。
人と人が何度でも出会いなおせるのなら、あのとき近くにいてくれた人たちともう一度出会いなおしたい。あのときの私ではなくて、今の私と。もう少し健全にできるから。もう少し上手にできるから。がんばるから…そういうふうに考えている私のなかに、まだ過去の自分が残っていることに気がつく。他人と関係に関する考え方のなかに、あのときの自分がまだ残っている。私はまだ、だめなままなんだよ。