モリノスノザジ

 エッセイを書いています

新春ドン引きカレー

 クリスマスに食べるシュトーレンにも、喫茶店のモーニング・サービスにもそれはある。端午の節句に飾るこいのぼり、ネクタイの模様、ごはんの前の「いただきます」にも。どんな慣習もたったひとりの思い付きからはじまる。こんなことしたらおもしろいかも。これは便利かも。こうしたら、なんとなくいいことありそうじゃない?そんな一度の思い付きがやがて習慣となり、やがて周囲に広がっていく。いい考えだ、真似しよう。うちでもやってみようか。それが長い間繰り返されて、たったひとりの思い付きだったものは、いつしか習俗や伝統になる。

 

 その意味において、これもまたいずれ伝統になる習慣のひとつと言っていいだろう。伝統の赤ちゃんと言うべきか――正月明けに食べるカレーのことだ。

 

 1月3日、夕方に私はカレーをつくっている。毎年のことだ。ここ数年の記憶をさかのぼってみたが、覚えている限り私はカレーをつくっている。カレーは、なんといってもこのタイミングにつくるのが最適なのだ。三が日の間大いに休み、大いにだらけた後でつくる最初の料理は、とにかくだるい。正月明け早々、凝った料理などつくりたくない。でも、カレーは簡単につくれる。それも、一度に大量につくれる。さらに、味もすばらしい。蕎麦やらおせちやら餅やらと、お正月に食べる和食になじんだ舌にとって、カレーの味はピリッとして新鮮だ。つまるところ、カレーは正月明けにつくり、食べる食事としてこのうえない料理なのである。

 

 これだけ正月明けに適性のある食べ物なわけだから、もしかすると、すでにどの家庭でもカレーを食べているのかもしれない。私が知らないだけで実は。元旦にはお雑煮を食べ、おせちを食べて、四日にはカレーを、七日に七草がゆを食べるのが正々堂々お正月のスタンダードになる日もそう遠くない……かもしれない。そういえば、七草がゆの由来は「正月に食べすぎた胃を休ませる」ことにあるだとか聞いたことがある。年末年始にごちそうを食べ、カレーのスパイスでヒリヒリした胃を七草がゆで休ませるという流れはまことに合理的である。やっぱりカレーがぴったりなのだ。

 

 今年のカレー始めは、大根と鶏肉のカレー―私はこれを「ドン引きカレー」と呼んでいる―に里芋を加えた。大根と鶏肉だけではややあっさりしすぎていたのが、里芋を入れることでやや食べ応えが増す。里芋入りドン引きカレーをつくるにあたり「カレー 里芋」でググってみたところ、検索予測に表示されたのは「カレー 里芋 まずい」の文字。でも大丈夫。おいしいカレーができた。

 

 ちなみに、「ドン引きカレー」の名前の由来はこのレシピの出所にある。今思い出しても辛い――いや、苦い思い出だ。ある日、知り合いがTwitterで大根と鶏肉のカレーを紹介していた。それを見てさっそくつくってみると、これがなかなかおいしい。その知り合いと顔を合わせることがあったのでそのことを伝えると、どうも反応が鈍い……というよりむしろ、「は、はあ……」ドン引きれている。なんで?

 

 その知り合いとは接点もなくなって、今はTwitterでもつながっていない。それでも、大根と鶏肉のカレーだけはときどき思い出したようにつくることがあって、そのたびにあのときのことを思い出す。もう何年も前の話なんだけど――それにしてもやっぱり、なんでやねん?納得いかないですよ、ブツブツ…。

 このブログを読んで、もしも正月明けに里芋入りドン引きカレーをつくりたくなったら?それは、ドン引き……なんて、しませんよ。伝統の赤ちゃんなんだから。

 

また読みにきてくれるとうれしいです!