モリノスノザジ

 エッセイを書いています

明けまして、多すぎる

 年末年始は、どうもしきたりが多すぎるような気がする。年末の大掃除に始まって、年越しそばに除夜の鐘。年が明ければ、初詣。正月飾りに鏡餅、門松、おせち。年賀状にお年玉。お雑煮、お屠蘇。元旦はお風呂に入らないだとか、掃除をしないだとか、行動に関する習慣もある。正月飾りひとつをとっても、いつ買うのが縁起がいいだとか、飾る場所はどこだとか細かい決まりがあって、これをひとつひとつこなしていくのは相当に大変だ。

 

 実家に帰らずに過ごす、二回目の年末年始。一回目の去年は年末年始が仕事だったので、日々の過ごし方に気を配る余裕もなかった。今回は、一人暮らしの家でフルに過ごす初めての年末年始。ひとりで「ちゃんとしたお正月」を遂行しようとして愕然とするのが、このしきたりの多さである。こういうしきたりがあることはもちろん知っていたし、やってもいた。なんでもないことのように。でも、それをひとりで、ひとつひとつ遂行していくとなると話が違ってくる。まず、そばを茹でる時点ですでに面倒くさい。結構大変じゃない?お正月。

 

 年末から年始にかけてのSNSをぼーっとながめていると、2021年の振り返りや、新年に向けた抱負の言葉がいくつも流れてくる。ふしぎだ。

 1月1日をその年の最初の日とする暦は、あくまでも私たちがつくった決まりごとに過ぎない。そこに天文学的な必然性はない。中国では現代でも旧正月にあたる春節が一年でもっとも大切な日とされているし、かつては日本でも旧暦で正月を祝っていた。

 それでも、お正月は特別な日だ。正月が近づくにつれて、この一年はどうだったかななんて振り返ったり、これからやってくる未来に思いを馳せたりする。毎年年末になると自殺のニュースがやたらと目に入って気が滅入るのだけれど、これだってそのことの裏返しなんだろう。未来のことを考える。いろいろな人が、いろいろな仕方で。

 

 初詣に行っておみくじを引いたら、末吉だった。おみくじの結果なんかに一喜一憂しない……と言いつつも、悪い結果が出ると気になる。少しでも運気が良くなるようにと、しっかりと木に結わえて帰る。そういえばおみくじをめぐるこの一連の行為もまた、しきたりのひとつだ。

 

 年末年始をめぐるしきたりの多さは、同じ分だけ、人の気持ちの多さだと思う。新しい年がやってきて、それぞれがそれぞれに未来のことを思う。今年はいい年になるといいなとか、ご縁に恵まれるといいなとか、健康に過ごしたいとかそういうことに思いを駆けさせる。そばは噛まずに食べましょうだとか、ダジャレみたいな縁担ぎのおかずばかりが入ったおせちは、この一年の幸せを願う祈りの結晶なんだ。

 

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 あらためまして、明けましておめでとうございます。昨年も一年間お世話になりました。このブログは本当に何の役にも立たないものではありますが、それでも読みに来てくださる方がいることに、励まされています。全身の臓器がいっしょになって声を出しても足りないくらい、感謝しています。

 

 1月1日からはじまる一年間を考えるとき、これまでは「新しいことを始める」ことを目標に置くことが多かったように思いますが、今年は辞めることや捨てることも含めて、主体的に選んでいく、変えていく一年にしたいと考えています。もう、新しいものを受け取るばかりでもないな、という気持ちです。

 ちなみに、年末年始のあれこれのなかでどれほど実行できたのかというと、結局年越しそば(カップ麺)くらい…。カップ麺並みのほどほどの意気込みで頑張っていきます。

 

 本年もお付き合いいただけると幸いです。皆さまにとっての一年が、素晴らしい日々になりますように。

 

 

また読みにきてくれるとうれしいです! 

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