モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ご褒美ってなんだ?

 なんだろう、この。季節の変わり目のせいなのか。ここ半月ほどあまり元気がない。叩き込まれた裏拳にずっと胸を圧迫されているような重たさがおでこから眉間のあたりにかけてぶ厚く堆積していて、ほんのちょっとした衝撃で水がこぼれてしまうコップみたいに脆い。かと思えば今この瞬間をこの上なく幸せな自分だと感じることもあって、つまり、心が忙しい。こういうときには、自分を甘やかすに限る。

 

 

 今週のお題「自分へのご褒美」の参加記事を見ていると、どうやら自分を甘やかすとはおいしい食べ物を食べることらしい。特にスイーツ。時にごちそう。

 

 けれど、チーズケーキや焼き肉が本当に私にとってご褒美になるのかはわからない。ケーキって、ショーケースのなかに飾られているのを選んでいるときにはすごくキラキラしてみえるのだけれど、家で箱を開いたときにはなんだか別物になっている。どうせ一人しかいないのに見栄で二種類買ってしまったりして、わかってるのに一気に食べて胃もたれする。私にとっては、ケーキを食べた後の汚れた皿を洗うほうがよっぽど現実だ。おいしいケーキを食べたなんて事実は私のなかに残らなくて、ただクリームのついた皿を冷たい水で洗う記憶のほうばかり残る。つまらないのは私のほうだって知ってる。

 

 

 そんな疲れた週末、つくりおきのカレーは昨日で切れたことを思い出す。今夜は何を食べようかと考えていると、途中からポークソテーが頭のなかに浮かんで、そのまま離れなくなってしまった。ポークソテーは一応、私の「好きな食べ物」である。

 

 「好きな食べ物は何ですか」と聞かれて、安定しなかった時期もあったけれど、5年くらい前からは固定している。ピザ、ポークソテー、お好み焼き、とんかつ。なんだか似たようなものが並んでいるようなきもするけれど、しょうがない。似ていたってピザとお好み焼きは違うし、私はそのどちらも好きだから。それよりも、問題はポークソテーである。好きなものを聞かれてポークソテーと答えるたびに、心のなかでこっそり自問する。…私は本当にポークソテーが好きなのか?

 

 確かにポークソテーをよく食べていたころもあった。けど、最近は全然つくらない。店で食べるようなものでもないし、つまり、ポークソテーはここ数年食べていない。それでもポークソテーを好きだと言い張るのか?そもそも、ピザにしたってポークソテーにしたって、数ある食べ物のなかで本当に「好きなもの」だなんて言い切れるのか?この先歳をとって脂っこいものが食べられなくなったら、そのどちらも嫌いになってしまうのではないのか?そんなものを「好きなもの」だなんて言うのか、私?

 

 

 豚ロースは胡椒でしっかり味付けして、薄くスライスした玉ねぎといっしょにソテーしていく。みりんに醤油、砂糖、オイスターソースとにんにく、それにバターで味付け。それから、ベーコンと刻んだほうれん草の茎をオリーブオイルとにんにくで炒めて、分けてちぎっておいたほうれん草の葉のうえにオリーブオイルごとまわしかける。塩で味を調える。これも、学生時代によくつくっていたメニューだ。

 

 どちらもとても久しぶりにつくったのだけれど、材料をそろえてキッチンに向かうと自然と手が動くのがふしぎだった。調味料の分量も、確認しなくたってわかる。あつあつのご飯をよそって、出来上がったポークソテーとほうれん草のサラダを盛り付ける。玉ねぎも豚肉も、これまでかというほどに茶色くて、あまりにも華がなくて、ここんところ、見た目がもう少しよければいいのにな、といつも思う。その茶色い茶色いポークソテーを前にして、なんだかほうっとして泣きそうになった。

 

 

 結局、ポークソテーは私の好きな食べ物なのだろう。いろいろ思い出もある。オイスターソースを切らした日の味や、お金がなくてバターが買えなかった日のこと。味は違くってもみんなポークソテーだった。そもそも、こんなにポークソテーばかり食べていたのも、学生時代住んでいた家の近所のスーパーで、毎週火曜日に豚ロースが安かったからだ。毎週2枚買って、火曜と水曜は必ずポークソテーを食べていた。

 

 そして、そういう思い出とか理屈があるとしても、それとは別のこととして今、はっきりと証明されてしまった気がする。どんなに豪華な料理やたくさんのスイーツを食べても満たされなかった気持ちが、今やわらかく充足されて、これがなによりの証拠であるように思う。ポークソテーはたしかに私にとってのご褒美だったのだ。写真映えしない茶色をナイフで切って口に入れる。ご褒美はこんなものでもありうる。

 

今週のお題「自分にご褒美」