モリノスノザジ

 エッセイを書いています

童貞をきみに捧ぐ

 個室というものは根本的にプライバシーを保つという目的で設けられるものであって、だから、個室のなかでどんなことが行われているか、どんなふうに行われているかはわからない。個室ビデオも個室カラオケも、電車のコンパートメントも、一人暮らしのワンルームも、そのなかは謎めいている。

 

 トイレの個室もまた、プライバシーを守るための装置のひとつである。あの小さな箱に入って中から鍵を閉めてしまえば、中の人がそこで何をしているかは誰にもわからない。監視カメラの目が厳重に張り巡らされた超警戒施設だって、トイレの個室の中までは覗けないのだ。だから、もしかするとあの個室のなかで逆立ちをしている人がいるかもしれないし、便座に座ると顔が自動的に変顔をしてしまう人がいるかもしれない。

 

 でも、それは誰にも分からない。誰にも分らないし、変顔をする人だってほかの人が同じようにトイレで変顔をするのかどうかを知る由はない。もしかしたら、その人はトイレでは誰もが顔を歪めるものだと思い込んでいるかもしれない。一般的に言って多分そうではないと思うけれど、その人がその事実を知るタイミングはおそらく今後訪れない。そして私も、真顔で便座に座ることがはたして「普通」なのかどうかを知ることはできないのだ。

 

 

 ハムスターが回し車を走るようにトイレットペーパーを回す音がたまに聞こえることがあって、いったいぜんたいどうしてそんなに紙が必要なのだろうといぶかしく思う。仮に1カラで手にひと巻き分紙が出てくるとすれば、カラカラカラカラカラカラカラカラの8カラで8巻き分にもなるではないか。お尻にはそうとうソフトであると思われるが、そんなにも必要なのだろうか。そして、中にはカラカラカラカラカラカラカラカラでは済まない人もいる。永遠にトイレットペーパーを回し続けるのではないかと思われるような、長い長いカラカラだ。

 

 しかし、私のトイレットペーパーの使い方のほうが正しいなんて、確証を持って言うことができるだろうか?トイレットペーパーでお尻を拭くことを、私は親に教わったのだと思うけれど、どれくらいトイレットペーパーを使えばいいかは教わらなかった。

 あるいは、教わっていても、親から教わったそれが正しいものなのかはわからないのだ。なぜなら、個室はプライベートな空間だから。トイレで変顔をする親が、はじめて便座に座った子に当然のように変顔を教えるように、もしかすると必ずしも普通とは言えないやり方が代々受け継がれているかもしれないのだ。

 

 さらに、トイレは限りなくプライベートな空間であることから、何か標準に外れた行為をしていたとしても、成長過程でその事実に気づくことが難しい。カラカラカラカラカラカラカラカラの人に言わせれば、私の方こそ、紙の量が少ないために十分にふき取りができていない不潔な人間であるかもしれないのだ。

 

 ともかくそれほどまでにプライベートな空間であるトイレのことだから、便座に新しい機能がつくと困惑する。なんの説明もなく「え?みんな使いこなしてますよ?」とでも言うかのようにしれっと、ウォシュレットに新しい機能がつく。いったい、あの小さな空間のなかにどれだけのボタンがあるだろう。実を言うと私は、ウォシュレットの基本の基本だってまだ使ったことがないのだ。

 

 いつのまにかウォシュレットのついたトイレが標準に近いところまできている気がするけれど、本当にいつのまにこうなったのだろう?私が子どもの頃にはウォシュレット付きの便座なんてほとんどなかった。それが、しれっと普通についている。

 世の中の人たちはいったいどうやってウォシュレットの使い方を学ぶのだろう?マッサージ機と違ってお店で試すこともできないし、説明書もついていない。友達や先輩に教えてもらうものでもない。実際のところ、ウォシュレットがトイレ会社の意図するとおりに使われていないケースも多々あるのではないか。誰もウォシュレットの正しい教え方を教わらないがために。

 

 とはいえ、いつまでもウォシュレットを使ったことがないというのは2020年にもなった現代において野蛮人扱いされてもおかしくはないなと思って、この間、初めてウォシュレットを使った。お尻童貞(この場合は処女と言ったほうが適切だろうか?)を脱したのである。

 もっと感動するかと思ったけれど、たいていの初体験がそうであるように、そのタイミングは急にきて、何事もなかったかのように終わった。本当はこの日を初体験にしようだなんて思ってもいなかったのに。当てる場所が悪かったのか、ちょっとだけ背中の方まで濡れた。

 

 正直なところ、こわかったのかもしれない。ウォシュレットが当たったときに変な声が出たり、それが癖になってしまわないかと。ハマってしまいはしないかと。でも大丈夫だった。いつもどおり私は真顔で便座に座って、でもトイレットペーパーはいつもより少しだけたくさん消費した。そうか、ウォシュレットを使うとたくさんのトイレットペーパーが必要になるのかと目から鱗を落として、少しだけ生まれ変わったような気分で個室から出た。個室の中で過ごした数分の間に私が経験したことを、私以外の誰も知らない。