モリノスノザジ

 エッセイを書いています

鍋の沼にはご用心

 スーパーマーケットに行くときには注意しなければならない。たいていのスーパーマーケットは入り口を入ってすぐ野菜を陳列していて、つまり、お店に入るやいなや白菜ドン!ニンジンしいたけドン!!えのきがドン!ついでにサイドの保冷庫にお豆腐と揚げがドン!とくる。

 ボリュームたっぷりな季節野菜の誘惑を抜けてもなお、魚コーナーではつやつやに丸められたつみれが、ぶりの切り身が、お米コーナーではスライス餅が、麺類コーナーではうどんが語りかけてくる。「買って…私を買って…食べたいんでしょう、…」続きを言う前に先へ進む。さっきからあちらこちらに並べられた鍋用つゆがニヤニヤこっちを見ている。かろうじて無視してレジに進む。今日の夕飯は生姜焼きだ。――鍋じゃない。

 

 鍋の誘惑を断ち切るのは簡単なことじゃない。なにしろ鍋料理と言えば、適当に切った具材を鍋のなかに敷き詰めて火にかけるだけでできるお手軽な料理だ。あらかじめ具材を切っておいて、ジップロックにでも保存しておけば、切るという手順すら省くことができる。このごろはいろんな味のつゆが売られているので味に飽きることもないし、味が薄くて物足りないなんてこともない。具材は実質なんでもOKで、好きなものを選んで入れることができる。そのうえ、ここのところの急激な冷え込みとくれば、もう鍋を食べない理由なんてない。

 

 しかし、一人暮らし歴の長い私は知っている。鍋は沼であることを。したがって、寒いからといって軽々に鍋に手を出してはならないことを。

 

 白菜に人参、しいたけ、えのき、鶏肉、玉子で鍋をするとしよう。一日目、二日目と鍋を食べて三日目。まず人参が切れる。一日目と二日目で1本使い切ってしまったのだ。やむなく私は人参を買い足す。四日目、鶏肉が切れるので代わりにつみれを買い足す。白菜はまだまだある。人参は昨日買ったばかりだ。五日目、えのきとしいたけが切れる。えのきとしいたけを買い足す。六日目、玉子と人参が切れる。玉子と人参を買い足す。七日目、白菜が切れる。しかし、手元にはつみれとえのきとしいたけと人参と玉子がある。ほかの具材は応用が利くにしても、鍋用つみれをほかの料理に活用するスキルは私にはない。やむなく白菜を買い足す。

 こうして私は、一度鍋に手を付けたが最後、切れ目ない鍋用具材の補給から逃れられなくなってしまうのだ。

 

 一度に大量の食材を消費する複数人家庭であれば、あるいは、私の料理スキルが高ければ沼になどハマらずに済んだのかもしれない。でも、私が独り身であることはどうにもできない事実であるし、料理スキルがないからこそ鍋を食べたいのだ。つまり、私は鍋沼にはまるべくしてはまるのであり、それを避けるには一回目の鍋を避け続けるほかないのだ。

 

 というわけで、私は鍋の誘惑に抗った。スーパーマーケットは全身をつかって客に鍋させようとしてくる。だから、スーパーマーケットは入った瞬間から戦いだ。束で安売りのネギも(鍋のなかでくたくたになったらうまそうだ…)、小分けの豆腐も(豆乳鍋なんかで崩れてあったかくなってるのがいいんだよな…)、肉コーナーの水餃子も(あたたかいつゆを含んでぶよぶよになったのなんて最高だな)、加工品コーナーの餅巾着も(一人だからいくつでも食べられる!最高)、みんな見ないふりしてストイックにレジに進む。私は鍋の誘惑に負けない。

 

 しかし、鍋の誘惑はスーパーマーケットにだけあるのではない。はてなブログを開くとそこには「今週のお題「鍋」」の文字。湯気につつまれた鍋の画像の連続。「あったかい!」「うまい!」の文字においしそうな鍋レシピの数々。

 翌日、スーパーマーケットの棚に手を伸ばすと、棚の上からは鍋つゆごま豆乳鍋がつやつやとほくそ笑んでいた。