モリノスノザジ

 エッセイを書いています

あなたは内から?外から?

 ”それ”は、年末にさしかかるちょうどこの季節にやってきて、村を襲います。そうなると村人たちは、恐怖に怯え、震えることしかできません。”それ”は村をあたためる太陽を隠し、つめたい結晶をいくつも空から降らせて家や田畑、家畜をすっかり覆いつくします。村人たちは、”それ”がやがて村を去っていくまでの間、ただ震えて家のなかに隠れていることしかできませんでした。

 

 そんなある日、何人かの旅人が村にやってきました。彼らは、彼らのひいおじいさんやそのまたひいおじいさんの代から絶えず”それ”にさいなまれ、やがて、克服したと言います。村にやってきた彼らは、村人たちの見たことのない道具を取り出し、村人たちに与えました。不思議な呪文を唱え、村中をあたたかく照らしました。彼らは、未だ”それ”に苦しめられている南の国々の人たちを救うため、故郷を出てきた旅の勇者でした。そして、ようやく”それ”が去って行ったある日のこと、彼らは村人たちに”それ”と戦うための方法を教えて去っていったのです。

 

 

 ――全体攻撃の呪文を唱えるには、まだ早すぎる。去年の初めては11月10日。その前はもう少しあと。いっぺんに全体をあたためることができるという点で効果的ではあるけれど、なにぶんコストがかかりすぎる。せめてあと一か月は、別のやり方でなんとか切り抜けるべきだ。この時期がくるたびに、どんなやり方で切り抜ければいいのか、去年はいったいどうやって生き延びたのかわからなくなって、もうなん十回目めの経験なのに、未だに霧のなかを歩くみたいにやみくもに戦っている。毎年やってくる、寒さというやつに。

 

 「寒くない?」って何度も尋ねながら母親が無限に毛布をきせてくれた子ども時代はもう終わった。私は私をあたためて、春まで生き延びさせなければならない。その戦いのなんと知性のいることか。その困難さの要因は、徐々に寒くなるということ、そして、寒さ対策にかけられるコストは限られているという点にある。

 

 ちょっと肌寒くなったからといってすぐにコートを出してしまえば、10月の今ごろは昼間に汗だくだ。ストーブは部屋全体をあたためることができるけれど、ストーブを焚くにはお金がかかる。少しずつ厳しさを増していく寒さに対して、手持ちのカードをどんな順番で切っていくか。それによってこの季節を快適に乗り切れるかどうかが決まる。これは頭脳戦なのだ。

 

 さしあたり考えなければならないのは、内から攻めるか、外から攻めるかという問題である。ヒートテックを着るか、コートを着るか。寝るときに毛布をかぶるか、薄い布団のままパジャマをあたたかくするか。身体を動かすか、じっとしているか。

 いずれの場合も、内と外とでいずれも一長一短がある。ヒートテックを中に着ることで目に見えて厚着をする必要がなくなるかもしれないけれど、一度着こんでしまえば外出先で脱ぐことは難しい。コートはあたたかくて必要のないときには脱ぐことができるけれど、室内ではふつう着ない。毛布を出せば、気持ちのいいコットンのパジャマを着続けることができるけれど、朝布団の外に出るのがつらい。パジャマをあたたかくしてしまえば、布団の外にいるときもあたたかいままだ。

 

 ――とこのように、これまでに集め、教わってきた手持ちのカードの長所・短所を細かく分析して、必要なタイミングで最適な手段を用いるのがクレバーな冬サバイバーのやり方である。

 

 サバイブ、サバイブしたんだよな。と思う。昨年。生きているから生き延びたはずなのだけれど、いつも不思議になる。10月でこんなに寒いのに、12月は、1月は、厳冬中の厳冬の2月は、いったいどうやって乗り切ったのだろう。思いつくままにほいほいカードを切ってしまえばいつか「寒い」が止まらないまますべてのカードを切りつくしてしまいそうな気がして、慎重に技を繰り出しては3月まで最終兵器を出さずに終わる毎年。

 今年はいったいどんな冬がやってくるんだろう。このあたりの初雪はだいたい10月28日には降るらしく、どうりで最近寒いわけである。昨日から冬物のパジャマに着替えて、今朝は布団のなかですこしだけ汗をかいた。