モリノスノザジ

 エッセイを書いています

かかと落としとその先と

 夜の間に降ったらしい雨はすっかり上がって、濡れた路面がきらきら輝いている。シャツに薄手のジャケットを羽織って玄関を出ると、なんだか昨日よりまた一段階季節が冬の方向に進んだような気がして軽く身震いした。これはもうちょっとしたら秋物のコートが必要だな、なんて考える。道路には横断歩道がないところをやたらゆっくり歩くおじいさんいて、それを見届けて、そういえばこの時間に通勤するようになってから小学生とは全然すれ違わないのだなあなんてふいに思う。

 どこかからカチ…カチ…と音が聞こえることに気がついてからほどなくして右足に違和感を覚えて、どうやらこれは足の裏のようだ。そっと右足を上げて靴底を見てみたら、ああ、これは、やってしまった。

 

 どういうわけだか靴のかかとを頻繁に落とす。家の玄関を出たときにはまだついていたはずのかかとが、たった5分やそこら歩いただけでなくなっている。

 

 かかとの取れた靴はみじめだ。普段履いているときには気がつかなかったような無数の擦り傷。むき出しの靴裏は接着剤がムラになったみたいな感じに汚れて、金具が露出してしまっている。

 かかとの取れた靴を履いている私は、かかとが取れて見違えるように(?)ぼろぼろになった靴と同じくらいみじめな気持ちになって、これが朝の出来事であることを恨みたくなる。たった5分と言っても、これから家に戻って靴を変える時間もないし、今日はこの壊れた靴で会社に行って、一日を過ごすしかないのだ。

 

 かかとの取れた右の靴は、接地するたびに金属がコンクリートにあたってカツカツと盛大な音を立てる。それに、あのむき出しの金具がコンクリートに当たるところを想像すると、なんだかとても嫌な感じ。フォークをじっと口のなかでしゃぶっていたらなんだか変な味がしてくるみたいな、そんな嫌な感じだ。

 

 それで、今日はどうにかして右足のかかとを地面につけないようにして過ごした。一種のつま先立ちウォークである。できるだけ「あの音」を立てないように、そのうえ、つま先立ちが誰にもばれないように…。おかげで今日はちょっとだけ筋肉痛である。

 

 「お客様のなかで、靴のかかとを落とされた方はいらっしゃませんか?」と呼びかけられて、しかもそれが自分のことだったという経験をしたことがある人はいるだろうか。もしいたらそれは私だ。私かもしれない。

 

 夕方の小劇場はそこそこ人で埋まっていて、もうしばらくで開演という時間帯。黒い小さなかたまりを手に持ったスタッフが、困惑した様子で客席に入ってくる。どうやら、《開演前のご案内》ではないらしい。右手でつくったちいさな拡声器を口にあて、彼はかかとの持ち主を捜していることを告げた。

 客席にいた全員が一斉に足を裏返してかかとの有無を確かめる。私も確かめる。確かめて…、もう一度確かめる。確かにない。「かかと落としのアナウンス」というおかしさに、あくまでも遠慮がちなくすくす笑いが客席を満たす。スタッフもスタッフで「今言うのが恥ずかしいなーって方は、後で言っていただいてもいいですからね」なんて気を使ってくれて、そんな一番悪いタイミングで私は手を挙げた。

 「それは私のかかと…だと思います」

 落としたのが私のかかとだなんて、靴の裏を確認したときからわかり切っていることなのに。

 

 靴のかかとをやたらと粗末にしているのか、かかとを落とす星にうまれついているのか、年に一度はかかとを落とす。それとも、私の知らないだけで、よのなかには毎日たくさんのかかとが落とされているのだろうか?もしそうだとしたら、落とされたかかとはどこかへ歩いていくのかもしれない。だって、路上に落ちているかかとを私はあまり見たことがないから。

 昨日落としたかかとは帰り道に探しても見つからない。どこかへ言ってしまったみたいだ。やっぱり、落とされたかかとはそこからあらたに旅にでる。自宅と会社との往復しか知らなかったかかとの、あらたな旅だ。