モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ツウキン・奪取・ストラテジー

 いっときのやや空いた車両にすっかり鈍らされていたのだけれど、最近になって思い出した。通勤は戦いである。敵はいつ、どこにいるかわからない。朝の通勤車両に投げ込まれた鋭い野生たちは、いつでも奪取の機会をうかがっている。そして私自身もまたその野生のひとり。今日も、電車の座席をめぐる戦いが静かに幕を上げる。

 

 緊急事態宣言下の電車は、それなりに空いていた。すごく空いているというわけでも、まあまあ空いているというわけでもなく、それなりに。リモート勤務ができない私は、出勤時間を30分ずらすことでなんとか社会に協力しているふりをして、しかし、電車は緊急事態宣言とか時差出勤だなんて大げさなことを言う割には空いておらず、始発駅から二駅目で乗って座れるか・座れないかというところなのだった。

 

 街中でマスクを外している人に厳しい目が注がれるのは相変わらずなのに、「出勤時間の分散」というスローガンに関しては、通り過ぎた後の台風みたいに忘れられてしまっている、のではないかと思う。以前のように知らないおじさんの鼓動を背中に感じながら出勤することがなくなったとはいえ、30分早起きして出勤しているのだ。ただでさえこのくらいは空いていてくれなくちゃ困る。あわよくばこのままリモート勤務や時差出勤が根付けば、と思っていたのだけれど、この国にはまだ早すぎたようだ。

 そして私は思い出す。緊急事態宣言期間に入る前の通勤中に繰り広げられていた、椅子をめぐる、あの戦いを。再び思い出すときがきた。…いまこそ。

 

 車両に乗り込んだ時点で空いている席がないならば、席に座る方法はただ一つ。途中で空いた席にすかさず座ることだ。しかし、これは簡単ではない。何しろ、通路もぎゅうぎゅう詰めの車内。空いた席のすぐそばにあらかじめ陣取っていなければそのチャンスをモノにすることはできない。となれば、空いた座席を確実に手に入れるための作戦はただ一点。今座っている人のなかで、途中で降りる可能性のある人を予測し、そのそばに陣取ることである。

 

 「途中で降りる可能性のある人を予測する」、それも確実に、なんて、そんな方法があるものだろうか?試しに、座っている人たちを見渡してみる。調査の結果、朝の通勤車両で座っている人が取る行動はいくつかの種類に限られることが分かった。まず、寝る。スマホ。たまに本を読む人。何もせずに立っている乗客をぼーっと見ている人はあまりいない。中学生はたまに友達とセットで乗り込んで、横に座る友達のスマホゲームをのぞき見したりしている。このような人たちに対して、どのような作戦が考えられるだろうか。

 

【難易度★☆☆☆☆】

 このうち、最も下車の予測がたやすいのは中学生だ。あるいは、高校生でもいい。制服の校章を見て、どの学校の生徒なのかを推測する。あとは、その学校がどの駅の最寄りにあるかを調べるだけでいい。「〇〇高校の生徒は3駅目で降りる」ということが分かってさえいれば、あとはその学校の制服を探してすぐそばに貼りついていればよい。学生でなくとも、社章や制服で降りる駅の見当がつくのであれば大人にも応用可能である。ちょうどよく近場で降りる人が見つかればラッキー。

 

【難易度★★☆☆☆】

 ふたつめの方法は、特定の個人の行動パターンを覚えてしまうことだ。知っている人でなくてもいい。毎日の通勤のなかで、まずは、途中で下車する人を見つけてその人の顔を覚える。次の日も同じ時間・同じ車両に乗っていて、前日と同じ駅で降りるようであれば作戦成功である。あとは、自分自身も必ず同じ時間・同じ車両に乗るようにして、その人の前にぴったりとくっついていればよい。

 相手の行動がランダムである場合は確実な座席奪取が見込まれないため、サラリーマンのように決まった日・決まった時間に移動する人間を選ぶことが望ましい。

 

【難易度★★★★☆】

 ここから体感的な難易度がぐっと高くなる。寝ている人・本を読んでいる人・スマホを見ている人のいずれもがターゲットになる。

誰しも、降りる駅が近づけばそわそわするものだ。スマホや本から目線を上げておもむろに車内の進行表示に目をやってみたり、きょろきょろとまわりを見まわしたり。本やスマホをいそいそと鞄にしまいはじめることもある。こうしたサインは非常に見逃しやすいため注意して観察しなければならない。

 注意点は、こうした行動が見られたからといって必ずしもその乗客がすぐに降りるというわけではないことである。ただ単にそわそわきょろきょろしているだけの場合もあり、作戦遂行の確実性はそう高くない。それだけに、高い観察力をもって降りそうな乗客を吟味する能力が問われることとなる。

 

【難易度★★★★★】

 なんの前触れもなく、車両が完全に静止した瞬間にスイッチが入ったように立ち上がる乗客。この種の乗客の下車を予測することは非常に困難である。

 

 以上のような調査結果を活かし、この一週間、5日間計10回の乗車に合わせて作戦を遂行した。結果は、座席奪取回数0回、立ち回数10回である。て、敵もさるもの…。通路に立ち尽くしたまま、野生の戦いはまだまだ続くのであった。

 

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 お題企画「ゲリラブ」第一回です。今回は「作戦」というお題で、ここモリノスノザジのほかにも同じお題で同時に記事を書いてくださっている方がいらっしゃいます(そのはずです)。ご興味を持たれた方は、ぜひ、参加記事を探してみてください。

 第二回の実施時期は未定ですが、そう遠くないうちに募集をかける予定です。こちらへのご参加もよしなに。