モリノスノザジ

 エッセイを書いています

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 先週は疲れがたぷんたぷんに溜まった壺みたいに、とにかくぐったりと、ただ生きていた。起きるなり身体がだるい。出勤しても眠いし、夜も眠い。9時間以上眠っているのにただただ眠い。眠っても眠っても身体がだるい。便座に座れば壁がぐにゃぐにゃと回り始める。季節の変わり目ってやつだ。秋口にはだいたいそうなるのだ。

 

 自律神経の乱れってやつらしい。私にはメニエール病というめまいの病気がある。今のところその病気の原因は分かっておらず、ただ疲れとかストレスが溜まるとなりやすい?かも?なんて言われているのだけれど、もしかしたら自律神経の乱れも原因?かも?みたいなことで、春先や秋口には体調を崩しやすいのだ。

 

 一年前、同じ病気を患うmisonoさんが活動休止を発表したとき、彼女は「その程度の病気で活動を休止するなんてって叩かれるんじゃないかと心配だった」と記事にあったのを覚えている。まあそんなものだろうなって思う。私はめまいの発作が出てただ布団で横になるしかできなくなるたびに(目を閉じたらこのまま目覚めないかも)って、世界の終わりみたいな気分になるけれど、他の人にとっては「めまい?ふーん、大変だね」程度なのだ。

 

 自律神経の乱れってやつも、この病気にかかる前からそういうことがあるというのは知っていたけれど、それがこんなに大変なことだとは自分で体験するまで想像もつかなかった。たとえば自律神経失調症の人なんかは(季節で重い・軽いがあるにしても)常にこういう苦しみに耐えながら生活しているわけで、そのつらさたるもの、想像しようとしてもなかなか難しいものがある。そういう人が「ここのところ具合が悪くて…」というのを「フーン」と聞き流していたこともある過去の私は、本当に想像力のない人間だったと今は思う。

 何事も、頭でわかっているつもりで、自分の番が来なくちゃ本当にはわからない。いつもその繰り返しで、だから私は本当にダメなのだ。

 

 「他人の気持ちがわからないの?」って言葉を、何度言われたことだろう。友達とケンカして、あるいは失恋した友達を下手に慰めて、そんな言葉を投げかけられて、へこんだ。若かったから、真面目に引きずって悩んだりもした。今になっては、だから何?他人の気持ちがわかる人なんているの?って感じだけれど。

 

 大人になって、自分の体験したことのない痛みや苦しみ、悲しみが数え切れないほどあることを知ってからはむしろ、そうやすやすと他人の気持ちをわかるようになりたくもない、とも思う。

 ここで言う「他人の気持ちがわかる」っていうのは、まるでそれが自分に起こったことのように、わかる、ということだ。私が経験しただるさや眠さを、それからほかの誰かが今も経験している足の関節の痛みを、どこかのだれかが抱いている孤独を、そうした一切合切を自分のものとして受け入れること。そんなこと到底できっこないのだけれど、仮にできたとしてもしたくない。それを「他人の気持ちがわからない」と責められることになったとしても。

 

 「他人の気持ちがわかる」っていうのは、そうじゃないだろうと思う。自分のことのようにわからなくても、そういう痛みや苦しみがあることを否定しないこと。だって、だれだって自分以外の誰にもなれないのだ。何度だって私は言われた。子どものいない人にはわからないでしょうとか、若いもんにはわからないだろうとか。わからないよ。「あなたにはどうせわからないでしょう」を言ったらおしまいだ。自分の側から扉を閉ざしてしまって、誰ももう反論できない。だって誰にも、わからないんだから。

 

 いや、どうなのかな?ほかの人には他人の気持ちがわかるんだろうか?私にはそれもわからない。私には他人の気持ちがわからないから。私のだるさが、あなたにも届いていたりするんだろうか?だとしたら、ちょっと、申し訳ないのかも。