モリノスノザジ

 エッセイを書いています

息をするのは大事でしょう?

 右の手首と左の手首を重ねて高く上げ、上半身をゆっくりと左に倒す。もどって、右に。もどって、また左。Fit Boxingでエクササイズの前後に行う準備運動のひとつで、いつからか、この運動をしながらたくさんの息が胸に入ってくるのを感じるようになった。腕を頭上に上げるとき、そのまま身体を左右に動かすとき、空気がまるで抵抗もなく身体に入ってくる。つぶしたビニール人形を解放したときに、人形がふくらんで元の形に戻るのと同じ自然さで、伸びた身体の伸びた肺が、足りない部分を補おうとするみたいに空気を取り込んでいる。

 

 他のクラスの担任で、体育の担当だってことくらいしか関わりはなかった。部活も運動系じゃなかったし、運動神経が抜群に悪いために、私が体育の授業で体育教師に目をつけられることもなかった。要するに、私は義務で身体を動かす中学生のひとりとして、彼女はそんなやる気のない中学生を指導する体育教師のひとりとして、同じ中学校で3年間を過ごしたのである。

 体育の授業はいつも準備運動から始まった。屈伸とかアキレス腱伸ばしとか、そんな準備体操をひととおりやって、そのときの先生の口癖が「ちゃんと息をしなさいよ」だった。準備運動をしている最中にも、呼吸をすることが大事らしい。そして、続けて「息をしてるってことは、生きてるってことだから」と言うのだった。

 

 「息をしてるってことは、生きてるってことだから」。それは、たぶん何度も聞いたわけでもないはずなのに、中学校を卒業してから10年以上経ったいまでもずっと記憶に残っている。でも、意味が分からない。人は、呼吸停止、心停止、瞳孔拡大の三つが確認された時点で死んだものとされる。だから、確かに「息をしてるってことは、生きてるってこと」なのだ。でも、それは正しくて正しすぎるために何も言っていないに等しい。なのに私はずっとこの言葉を覚えている。ふいに呼吸を感じるとき、この言葉が頭に浮かぶ。息をしてるってことは、生きてるってこと、なんだって。

 

 ときどき、あ、息をしていない。って気がつくことがある。生きてるってことは息をしてるってことだから、生きているかぎりは呼吸をしているはずなのだけれど、なんだか私はときどき息をしていないのだ。本当に呼吸を止めているわけではなくて、たとえば焦って余裕がないとき、なんだかわからないけど不安で仕方がないとき、気がついたらまともな呼吸をしていない。そして気がついて、意識して息をする。だいぶ落ち着く。深呼吸なんて難しいことを考える必要はない。ただ、息をする。だって、息をしてるってことは、生きてるってことだから。

 

 あいかわらず「息をしてるってことは、生きてるってことだから」という言葉がなんなのかわからない。あまりにも、当たり前すぎる。でも、こうして伸びをした身体に酸素が入ってきて、肺がひらくような感じや、呼吸で運ばれた酸素が指先をちりちり焦がす感覚は、たしかに生きてるって感じがする。これは、生きてるってことをたしかめるためのひとつの方法なのかもしれない。