モリノスノザジ

 エッセイを書いています

よわくなる、夏

 あ、秋になった。って感じる瞬間があって、それはたいてい風にあたっているときだ。気温が下がったわけでも、目に見えて日没が早くなったわけでもないのに、8月のあるとき、それはやってくる。いったいそれはなんなのだろう?あの風の正体。風速とか温度とか、そういうものであの「あ、秋になった」を説明することができるのだろうか。北海道はここのところ、去りゆく夏を惜しむみたいに暑さがぶり返した日々が続いているけれど、「あ、秋になった」の風はもうとっくに終わっていて、正味2週間の夏2019はあっという間に終わってしまったのだった。

 

 今年は「あ、秋になった」は盆前にはすでに始まっていた。時期としては若干早いのだけれど、北海道にしてはめずらしく熱帯夜が続いた7月下旬~8月上旬のことを考えれば、ずいぶんと長い夏であった。私は子どものころから暑さを我慢するのが得意で、好きでもあって、熱帯夜を扇風機もつけずに幾晩と過ごしても平気だった。暑いことよりも、ノートやら本やら髪の毛やら、身の回りのいろいろなものが風でなびくことや、冷房のつめたさが苦手で、そしてたぶん、我慢することをなんとなくいいことだと思っていた。

 

 クーラーのない北海道では、好きとキライとにかかわらず冷房なしの熱帯夜を乗り切ることを強いられる。そしてこれが、どういうわけだかこれがめっぽうしんどい。同じ熱帯夜とは言え、あのころ地元で経験していた熱帯夜よりは数段落ちるはずなのに、ひどく身体がだるいのだ。日ごとに疲労は蓄積して、8月に入るころには特にこれといった理由もないのにへろへろになっていた。「自分には体力がある」と過信することの恐ろしさ。寝ている間に熱中症で亡くなる高齢者のニュースが、画面の向こう側の出来事ではなくて、自分がいる場所と陸続きであることに気がついた夏だった。

 

今週のお題「夏を振り返る」