モリノスノザジ

 エッセイを書いています

真昼間の怪談

 怪談と言えば幽霊だけど、幽霊の怖さは「いるのかいないのかわからない怖さ」だと思う。想像してみてほしい。夜中、暗い寝室で目を覚ますとなにやらどこかからコソコソと物音がする。あるいは、トイレに立って廊下を歩いていると、自分の顔の真後ろに何かがいるような気配がある。その正体を確かめようと周りに目を凝らしたり、息を詰めて物音に耳を凝らしても、原因は一向にわからない。

 たとえばそれが、猫が水を飲もうとして皿を倒した音だとか、廊下の壁に飾られた面だとか、正体がわかってしまえばなんてことはない。けれど、正体がわからないのは怖い。なにかがいるような気がするけどなにもいない。…ように見えて、でもやっぱりなにかがいるような気がしてならない。そういう状況が怖い。 

 幽霊が座敷の隅にはっきりと見えたなら、そのときの怖さは、見えない幽霊に感じるのとはまた別種の怖さではないだろうか。たとえばその幽霊が口から血を流していてコワイとか、襲い掛かってくるからコワイとか。そういう怖さは怪談的な怖さではなくて、具体的な生き物に危害を加えられる恐ろしさである。

 

 

 あれはよく晴れた土曜日の朝のことだった。すこし遅い朝食を終えた私は、FMラジオを流しながら食器を洗っていた。きれいに洗いあがった食器を拭いて、食器棚にしまったら、ダイニングテーブルの椅子を部屋の隅に寄せて掃除機をかける。雨で汚れた窓枠を雑巾で軽く拭いて、トイレとキッチンのタオルを取り換える。

 いつもと同じ順番。いつもと同じ週末の掃除。そのはずだった。平穏なはずの週末の朝は、一瞬にして打ち砕かれた。

 

 

 戦慄の出来事は洗面所で起こった。整髪料に歯磨き粉、洗面台のあちこちにバラバラと置かれているボトル類を一か所に集め、表面を水拭きしていく。いつもどおり、蛇口レバーの裏をぬぐってから、歯ブラシ立てを持ち上げて陶器の洗面台を拭こうとしたとき。私は思わず「うわっ」と声を上げた。歯ブラシ立ての下には黒い虫がいたのだった。

 

 虫は体長1センチほど。周囲には虫と同じような色の、黒い粉のようなものが散らばっている。私は固まった。そして、固まったまましばし考えた。

 ―――歯ブラシ立ての下だと?明らかに「無」から「有」が発生している。「無からは何も生じない」と言ったのはギリシア哲学者パルメニデスであったが、虫だけはその例外である。コバエ然りこの名前がわからない黒い虫然り、虫だけは明らかに「無」から発生している。それにしたってこいつ、歯ブラシ立ての下の隙間のない場所にうっかり発生してしまったがために、発生したが最後、つぶれて粉々になってしまっているではないか。

 

 やれやれ、この死骸をどうやって片付けたものか。水で流してもどうせ手でつままなければいけないし、ティッシュ越しに手でつかむのも嫌すぎる。プリンの空き容器と厚紙やなんかをつかってうまいこと回収するか―――とゆっくり考えていた矢先、死んでいると思われた虫は突然動き始めた。私は再び「うわーっ」と叫び、そして今度こそそのまましばらく動けなかった。

 ようやく動きを取り戻した私は、虫が逃げていったと思われる隙間に向かって水を流してみたり、洗濯機を動かしては水栓が外れて水浸しになったりしてみたのだが、それ以来あの虫を見ることはなかった。洗濯機を動かして底の床まで水拭きしたというのに、そこにもいなかった―――のである。

 

 

 それ以来私は虫の恐怖に怯えている。視界に黒いものがチラッと映ると、それが刻み海苔であろうと鏡の汚れであろうとびくっと怯えてしまう。どうしてあのとき、虫が死んでいると思い込んでしまったのだろう。どうしてあのとき、確実に仕留めておかなかったのだろう。あのときしっかりと虫を排除してしまえば、こんな恐怖にさいなまれることはなかったのに。

 

 実際のところ、あの虫がまだわが家のなかにいるのかどうかはわからない。まあ虫の一匹や二匹住んでいてもおかしくはないのだけれど、あの虫が実際に私の目の前に姿を現したことで、すべてを変えてしまった。虫はあれ以来私の前に現われていないのに、常に私を不安にさせる。うがい用のコップを持ち上げたらその下に虫がいるんじゃないかとか、夜な夜な這い出てきては抜け落ちた私の髪を食み、歯磨き粉についた唾液を舐めているんじゃないかとか。そういう恐ろしい想像をかきたてる。もしかしたらもうあの虫はわが家にはいないのかもしれないのに。

 

 虫が今でもわが家にいるという証拠はない。私はただ一度、歯ブラシ立ての下に虫がいるのを発見しただけだ。いっそのこと再び目の前に現れてくれたら、今度こそちゃんと処分してほっとできるのかもしれない。だけど私がいつまでも虫に怯えていて怖くって、それは、虫が本当にいるのかいないのか、それがわからないからだ。