モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ミルキーはなんのあじ?

※7/7の札幌文フリにて無料配布したものです 

 

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 通学鞄にはいつもミルキーが入っていた。ジュースも菓子も、楽器をケースに収めるまでは甘いものを口にしないのが習性の吹奏楽部員。ミルキーの包みを開くのは決まって部活帰りの自転車置き場で、今日は包み紙にペコちゃんが何人いるだとか、ミルキーのキャッチフレーズがどうだとか、そんなくだらないことで高校生はいちいち盛り上がることができる。私と友人はミルキーを舐めるべきか噛むべきかでいつも意見が合わなくて、自転車のハンドルを並べて何度だって話し合った。私は「舐める派」を、友人は「噛む派」をそれぞれ主張して、三年間のあいだ譲らなかった。けれど実際のところ、私だってときどきはミルキーを噛む。だから噛むか舐めるかなんてほんとうのところどっちでもいいのだ。でも、私たちは何度だってそのことを話し合った。ミルキーを噛むか舐めるかで揉めるのが単純にたのしかった。もちろんそのほかのことだって。

 

 高校を卒業してから私はぱったりとミルキーを辞めた。辞める理由はとくになかったけれど、食べる理由も特になかった。それでもときどき、実家から届いた荷物のなかにミルキーが入っていることがある。ミルキーを欠かさず持ち歩いていた高校生までの私しか知らない母は、私がミルキーを好きなものだと思い込んでいるのだ。母が送ってくるミルキーはでもいつも特別なミルキーで、二層構造で中にソースが入っていたり、特別やわらかくて特別くちどけがよかったりする。こんな上等なミルキーを食べていたら、噛むか舐めるかの議論にもまた別の展開があったのかもしれない。けれど、プレミアムミルキーの正しい食べ方に関する議論のゆくえを、私は知らない。

 

 駅の売店で、ひさしぶりにミルキーを買った。ひとつ取り出して舐めると、いきなり包み紙に「大吉」の文字。10年ぶりに食べるミルキーは甘ったるくてべとついて、あの日と同じ味がした。それに、やっぱりどう考えたって噛むには硬すぎるのも変わらない。ひとつだけ違うとすれば、大人になった私はもうミルキーを噛むべきか舐めるべきかでやりあったりはしないということだ。 

 

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