モリノスノザジ

 エッセイを書いています

孤独な夢職人

 ここのところ、朝になると自然と目が覚める。それも4時とか5時半のような早朝に。起きたい時刻ぴったりに目が覚めるのならすばらしいのに、と思いつつ二度寝する。窓の外で鳥がヂュンヂュン鳴いてるような朝だって、雨風が街路樹をめちゃくちゃに揺さぶる朝だって、およそ朝であるからにはあまねく二度寝が最適なのだ。

 

 その日の朝目が覚めたのは5時46分だった。「5」、「4」、「6」の数字を目で確かめてから、スマートフォンの画面を伏せて光を遮る。目覚まし時計が正しく朝を伝えるまで、目を閉じてからの時間はいつも一瞬だ。けれどその朝は違った。私は夢を見ていた。そこには夢職人がいて、それはまさに私の夢がつくられつつあるところだった。

 

 夢職人は私の夢のかたわらに立って、じっと夢の成り行きを見守っている。そして、ときどき夢の進行に待ったをかけては、内容に手を加える。夢職人が「さっきのシーンは朝だったのに、どうして今は昼になってるんだ?」と言うと、たちまち窓の外の景色が朝焼けに変わる。「小林さんならそういう話し方はしないんじゃないかなあ、たとえばもっと」と言って登場人物のセリフを修正し、すこし前から続きをやり直す。「そういう話をしてるときに食べるものがヨーグルトっていうのは変じゃない?」と言って、机の上のヨーグルトをポテトチップスと取り換える。

 夢職人のそうした修正のひとつひとつはどれももっともらしいようなのに、全体をつなげてみるとなんとなくどこかいびつな感じがする。けれど、それでも夢職人は満足そうだ。たしかに夢というのはそういうものだ。空を飛べたり海を歩けたり、現実の物理法則を無視した世界観。実際ならありえない言動を夢のなかでは当然のこととして受け止めてしまうこともある。そうか。現実のようで現実でない、どこか変な感じのする夢というのはこうやってつくられていたんだ。

 

 しかし、夢職人がこまめにリテイクを入れ、丹精込めてつくった夢の内容を私は覚えていない。というか、およそ夢というのはそうなのだ。だいたいの夢を私は覚えていない。こわい夢も不思議な夢も、目が覚めてしまえばすっかり内容を忘れてしまう。今日はすごい夢を見た、って興奮気味に目覚めた朝の夢だって、布団から出たらどんなに頭をひねってももう思い出すことができない。まるで夢に時限装置がついているみたいだ。現実の世界で夢を思い出そうとすれば、それははかなく壊れてしまう。だけど夢職人は、毎日丁寧に変な夢をつくる。――でも、いったい何のために?

 

 そんなことを考えている間にも、世界は朝になり夜になる。そして私は夜になると眠りにつき、朝起きるまでの間、夢を見る。観客は私だけ。朝になれば忘れられてしまう物語を、夢職人は今夜も真剣に作りあげ、たった一人の観客のために上映する。私は目が覚める。なんだか不思議な夢を見ていたみたいだ。内容はまったく覚えていないけれど、夢を見ながらとても楽しかったって手ざわりだけを覚えている。それに、今になって思えば今日の夢もなんかあちこち変だった。ベッドから立ち上がる私を見送って、夢職人は満足そうな顔をしている。明かりを消す。そして夢職人は、次の朝私に見せるための夢づくりにとりかかる。