モリノスノザジ

 エッセイを書いています

まずは「おねえちゃん」からはじめよ

 私は長子である。したがって、私には兄や姉がいない。いままで私がそのことに疑問を持つことはなかったし、兄や姉のいない人生を恨むこともなかった。兄や姉のいるだれかをうらやんだことすらない。それなのにどうしてだろう。満ち足りているとは言えずとも、いろいろなものに恵まれている私の人生。そのなかで、兄と姉の存在だけが決定的に欠けている。隙間から吹き込んでくる風の存在に気がついてしまったらもうおわりだ。兄と姉のいない空虚さは次第に私を満たしていく。はたして私は、兄も姉もいないままこの人生を終えていいだろうか?

 

 けれど兄や姉がほしいといってもいったいどうやって手に入れたらいいものだろう?兄や姉が「親を同じくする年長の男女」を指すものである以上、長子たる私が血のつながる兄(姉)を後天的に得ることは不可能である。ならば、いわゆる「義理の」兄・姉はどうだろうか?つまり、配偶者に兄または姉がいる場合、配偶者との結婚を通じて義兄・義姉をつくることができる。これならば後天的に兄(姉)をつくることができるのではないだろうか?

 しかし、義兄・義姉を手に入れることにも壁がある。結婚によって義兄・義姉を手に入れるには、兄や姉のいる異性を見つけなければならない。しかし、身近に出会える範囲の異性のうち、はたしてどれくらいの人に兄や姉がいるだろうか?第一子は必ず長子であり兄や姉を持たない。このため、兄や姉を持つためにはn人きょうだい(n≧2)の2人目以降である必要がある。日本が多産社会であればその条件に当てはまる異性も多かったであろうが、残念なことに現代の日本は深刻な少子化社会。運よく異性と巡り会えたとしても、その人に兄や姉がいる確率は決して高くはない。そもそも結婚に至るような異性と出会うのが一仕事の時代である。そのうえ相手の家族構成まで厳選するとなれば、結婚が遠のき本末転倒となりかねない。この方法も成功率は低そうだ。

 

 だがよく考えてみろ。これまで兄や姉のことを「手に入れる」だなんて、まるでモノみたいな扱いをしてきた。結婚相手にしても、義兄・義姉を手に入れるための道具のような口ぶりだ。しかしそうだろうか?結婚は兄(姉)を手に入れるためではなくて、心と心のつながりを社会から追認してもらうための儀式である。そして兄や姉は、単に血がつながっているとか定義上「兄」「姉」とされる存在のことを指すのではなくて、互いの関係性によって規定されるものなのではないだろうか?形式的な条件に着目して兄(姉)をさがすのはむしろ正しくなくて、相手の内面、あるいは自分との関係性に兄らしさ・姉らしさを見出すべきではないのだろうか?

 

 おにいちゃんやおねえちゃんがほしい、と言うとき、たいがいは単に兄や姉と呼ばれる存在がいることだけを望んでいるわけではないのだと思う。母親のいない子どもが「おかあさんがほしい」と言うとき、その子どもがほしがっているのは形式的な母親ではなくて、自分に愛をそそぎ、守ってくれる母親だ。そして、私がおにいちゃんやおねえちゃんがほしい、と言うとき、私がほしがっているのはいったい―――?

 

 じつは私にもおにいちゃんだと思う人がひとりだけいる。もちろん血はつながっていない。いつの間に彼が私のおにいちゃんになったのかはわからないけれど、いつの間にか私は彼のことをおにいちゃんだと思うようになっていた。彼のどこが「おにいちゃん」っぽいのかはわからない。実際には「おにいちゃん」ではないみたいだ。だから、もともと兄であるがゆえに兄らしい性格(といってもなんのことだかわからないが)をしており、それを私が感じ取ったというわけでもないようである。日ごろのふるまいを見ていても、ほかの人と比べて特別頼りになるとか、個人的な相談に乗ってくれるといったこともない。だけど彼はおにいちゃんなのだ。

 じゃあどうして彼がおにいちゃんなのか、という最初の疑問に立ち返ると、それはどうやら「あ、おにいちゃんかもしれない」という気づきだったのかもしれない。一度「おにいちゃん」だと思うと、私が彼にする接し方も、彼のふるまいに対する見方も変わってくる。おにいちゃん今日は髪型決まってんじゃんとか、あ、おにいちゃん手伝ってくれてるありがとうとか、そんなふうに毎日を過ごすうちに、だんだん親近感が沸いてくる。ほんとうにおにいちゃんのように思えてくる。

 

 つまり、だれかをおにいちゃんにするにはまず、相手を「おにいちゃん」と思うことだ。むしろ、ほとんどそれだけでいいのかもしれない。簡単なおにいちゃんのつくりかたで、そして、正攻法でかたちだけの義兄をつくるよりもずっと親しみのあるおにいちゃんをつくる方法だ。

 

 いまのところ私にはおねえちゃんと思える女性がいない。こんなおねえちゃんがいたらいいな、というお姉ちゃん像はあるけれど、理想は理想なだけに理想にぴったり合致するような女性にはなかなか出会えないのだ。でもまずは「おねえちゃん」と思うところから始めよう。さがしてもみつからないおねえちゃんなら、私が「私とあなた」を「私とおねえちゃん」に変えてやるのだ。