モリノスノザジ

 エッセイを書いています

豆子、私に香水を

 めずらしく、学生時代の友人から連絡がきていた。先日高校時代の同級生と入籍したこと。そして、お相手の方の親族のご意向で、友人にとって異性である私は結婚式に招待できないことが書かれていた。

 そんなにショックということもなかった。そういうこともあるってことを知っていたわけではないけれど『報告と申し訳ない話があります』という書き出し、そして結婚したというところまで読んで、なんとなくそういう方向の話だろうなと想像はついていた。けれど、最後まで読んで、はたしてそのとおりであることがわかったときには、そんなことって実際にあるもんなんだなあとちょっと驚いたりもした。でも、まあ考えてみればそういうふうに感じる人がいることも理解はできる。友人とは卒業後も何度か一緒に旅行に行く仲だし、ほんとうは私を招待したかったというのも嘘ではないんだと思う。でも、個人のパーソナリティや考え方が尊重される昨今の世の中にあっても、結婚式というのは結婚する当人が好きなようにやるものではなくて、ある意味では周りのために、ある意味では周りが考えているようにすることが望まれているものなのだ。私はしたことがないけど、たぶん。

 

 ちょうど数日前に山崎ナオコーラ『可愛い世の中』を読んだところだった。この小説でも、世間一般における結婚式の概念と、主人公が描く理想の結婚式像との乖離、そして主人公の葛藤が描かれている。主人公・豆子はマッサージ店員・鯛造と婚約し、結婚式の準備にとりかかっている。32歳で初めての結婚式。すでに経済的に自立した大人の身として、両親もふくめゲストとしてもてなす。そのためには、経済的に両親に頼っていてはいけない。豆子は、経済的に頼りない鯛造にかわり、結婚式にかかるすべての費用を自身で負担する決心をする。

 しかし、結果は大失敗。豆子は、いつか家を買うためにためていた600万円をすっかり結婚式に費やした。豆子は、自身が費用を負担して式を挙げたことを友人たちに褒めてもらいたかったのだが、だれもそれを褒めてはくれない。そして豆子は気が付くのだった。「金を払ったことを、自分が思ってほしいように他人に思ってもらうことはできない」。なぜ、私たちのようなカップルが結婚式を挙げてしまったのだろう。

 

 『自分たちらしい結婚式』をやれば皆わかってくれると、『世間一般の概念にある結婚とは少しずれた、自分たちの考える結婚』を結婚式で表現すれば理解してもらえると思ってしまった。その『世間に理解されたい欲』が自分を結婚式に走らせたのだ。(中略)世間なんて、もともと個人の考えを理解するシステムではないのだ。

 

 『可愛い世の中』は、豆子の金銭感覚が変化していく様子を描いた物語だと説明文に書かれている。けれど、私はこの物語には性というもうひとつの主題があると思う。豆子は常に、女である自分は社会的に責任あるふるまいをしても評価されないと感じている。自分より年収の少ない相手と結婚して生活を支えていくこと、自費で結婚式を挙げること。男性だったら「甲斐性がある」と褒められるものを、そうでないのは私が女性だからではないのか。女性は常に「女らしさ」や妻役に徹することばかりが求められ、経済力や人間としてのよさを評価してはもらえないのではないか。

 豆子は、『経済力』という名の香水をつくりたい。色気ではなく、『経済力』を自信に変えたい。そして、他のひとにはほかの香水を。家事に自信のある人、豪快さが魅力の人、それぞれがセクシーさとは違った魅力を持っている。それぞれの魅力を全肯定して、その魅力をいっそう高められる香水をつくろうと決心する。

 

 すくなくとも今のところ、私には男性だとか女性だとかいう認識がない。もちろん生物学上どちらに属するのかはわかっている。けれど、肉体の性や装いの性、ふるまいの性などとは別に「心の性」というものがあるとして、それが何なのかはわからない。わからないし、自分自身を語るためにそれが必要とも感じないので、私にはたまたま出会った肉体の性があるだけで性別はないと思っている。

 けれど、世間はおおむね肉体を基準に性別を決めたがるし、異性は生物学上の見た目に従って性的な興味をそそごうとする。そして、この肉体の性別のために友人の結婚式にも呼んでもらえない。友人が男性であるとして、もしも私がゲイだったとしたらそのときはどうなっていたんだろう?たぶん招待してもらえたんじゃないか。身体が男性なので、それだけの理由で。だけどまあそのことはもういい。

 

 個人の性的指向や性自認とは別に、社会が見る見方というのは存在する。そして、肉体の性に応じた「よさ」が強制される場面もある。それは男らしさとか女らしさとか、そういうものだ。もしも社会がそう望むのなら、肉体の性にのみこまれて、つくられた「よさ」に自分を当てはめたほうが楽なんだ。肉体の性に従って、男らしく/女らしくふるまえばいい。社会はそれを評価する。けれど、私はそれでいいんだろうか?

 豆子は、いったんは「世間なんて、もともと個人の考えを理解してくれるシステムではない」と諦めてしまう。しかし、やがて「いい女」としてふるまうことに対する自分の心の抵抗を受け止め、『経済力』を自身の魅力として社会にアピールしていくことを決心する。

 私に必要なのはいったい、なんという名の香水だろうか?

 

可愛い世の中 (講談社文庫)

可愛い世の中 (講談社文庫)