モリノスノザジ

 エッセイを書いています

そんなにかんたんじゃない

 天気がいいので朝から洗濯をした。買い出しをして、月曜から職場に持っていく弁当のおかずをつくり終えたところでだいたい乾いている。なんとなくすがすがしい気分になりたい気分だったので、玄関マットだのキッチンマットだの、マットと言うマットをすべて床から剥がして二周目の洗濯をした。今日が返却期限の本を図書館にカウンターへ差し出して、冬服をクリーニングに出す。溜まっていた食品トレイを回収ボックスに入れる。段ボールと新聞紙を廃品回収に出す。なかなか良い首尾。

 

 実のところ、洗濯は好きじゃない。洗濯はまだいいかな。干すのもいい。とりこんでたたむのが嫌だ。束ねた新聞を回収場所まで持っていくのも。暑いなか図書館まで足を運ぶのも。それでもまあ、さっぱりしたシーツに寝転がるのは好きだし、ふわふわな玄関マットも好き。部屋は雑然としているよりもきれいに整頓されているほうがいい。好きな状態を実現するためには、たくさんの嫌なことをやらなければならない。

 だから「好きなことをして生きていく」というのはそうそう簡単なことじゃない。好きなことをするためには、嫌いなことをたくさんしなければならない。私の生活はほとんど、「嫌いなことをして生きている」んじゃないかって思うくらいだ。

 

 ただ「好きなことばっかりして生きていられるほど世の中は甘くないのよ」なんて言いながら、嫌いなことばかりしているのもおもしろくない。何がおもしろくないって、要するに逃げているのだ。やりたいことが多すぎて、毎日ぜんぜん時間が足りないって、私は思っている。けれどいざ時間ができても「やりたいこと」なんてやりはしない。たいていやりたいことなんて、時間がかかるし頭もつかうものなのだ。本当は暇な時間なんてなければいいと思ってるんじゃないか。アイロンをかけたり皿を洗ったり、嫌だけど手っ取り早くできることで時間を埋めて。そうやって、嫌いなことだけをして生きている。

 

 だから、好きなことを好きだっていうそれだけの理由でやってる人は(しかもそれが「できないこと」なのならなおさら)尊敬するよ。嫌いなことだってやらなくちゃいけないんだけど、きっとそういう人は嫌いなことだってやってるんだろう。好きを実現するにはたくさんの嫌なことをやらなくちゃいけないんだから。