モリノスノザジ

 エッセイを書いています

プラスチックのイヤリング

 エレベーターに乗り合わせたたくさんの客たちのなかに彼女はいた。学校指定と思しき濃いグレーのピーコートに黒っぽいジーンズ、黒ゴムで束ねたハーフアップ、すこし浅黒くて化粧っ気のない肌。黒いインナーのハイネックはへろへろに伸びていて、首元にちいさな毛玉がいくつもくっついている。そして耳にはシルバーのイヤリング。ハートの形をした銀色のすみっこが剥げて、そこから樹脂がのぞいていた。エレベーターは映画館にしか止まらない時間帯で、週末の映画館に向かう人たちから放たれるどこか浮ついた空気のなか、彼女は友達といるのにどこか不安そうに見えた。

 

 はじめて異性と映画を見に行ったときのことを思い出す。たぶんエレベーターのなかの彼女と同じくらい、中学2年のときだった。私はそれをデートだと思っていなかった。相手は明らかに特別な意図をもって私を誘ってきたようだったけれど、私はデートだとは思わなかった。私たちは友達だった。それに、相手は私の友人と付き合って、別れたばかりでもあった。恋愛経験のない私ではあったけれど、友人が分かれたばかりのタイミングで私が「デート」するなんて、納得のいかない気がしていた。

 それに、私たちの待ち合わせをおもしろがってつけてくるクラスメイトが何人かいて、私はそれも気に入らなかった。私はいささかもその待ち合わせを楽しみにしていたと思われたくはなかったし、それを「デート」とも思われたくなかった。なのでその日、私はジーンズに黒いパーカーのファスナーを首元まで閉めて映画館に向かった。2番スクリーンではすでにクラスメイトが待ち受けていて、私たちはつまらないヤジを背中に受けながらつまらない映画を見た。それが恋愛映画だったので、野次馬の彼らはさらに興奮し、私は反対にこのうえなく白けていた。エンドロールが流れ切る前に映画館を飛び出した私は、相手にひとこと「それじゃ」と言ってそのまま家に帰った。

 

 明らかになにもかもがおもしろくなかった。少し前まで付き合っていた友人のこと。目障りな野次馬。濡れ場のある恋愛映画。なにもかもがおもしろくない誘いを断り切れなかった自分のこと。下衆なクラスメイトたちに餌をあたえたのはほかでもなくそんな自分の態度であるということ。

 そして今になって思えば私は、異性と出かけるのにしゃれた格好ひとつできない自分がはずかしかったと思う。捨てデートだから適当な格好でいいのではない。最低限映画にだけ付き合って、捨て台詞を吐いて帰るからこそ、自分はそれなりの格好をしていなければならなかった。

 うまく説明することができないけれど、わたしはその日おしゃれでなければならなかったと思う。ダサい格好の私がエンドロールの途中で映画館を抜け出して一人で帰ることで、結果的に私は一緒に映画を見た相手や友人のプライドを傷つけてしまったのかもしれない。けれども私がその日ジーンズにパーカーで出かけたのは、逃げだったのだ。少しでもおしゃれに対する色気を見せることで、ダサいと言われるのが怖かった。クラスメイトにも、待ち合わせの相手にも。それならはじめからおしゃれになんか興味のないふりをしていたかった。そうしたら誰かにダサいと言われても、開き直ることができるから。

 どうやったって小学生や中学生が自力ではじめから「おしゃれ」にたどり着くことはむずかしくて、誰だってはじめはおしゃれじゃないところからはじめなければならない。本当はその日私がおしゃれな服装をできたらよかったのだけれど、私はおしゃれじゃなかったしおしゃれになろうともしなかった。おしゃれができないのでおしゃれをすることから逃げて、明らかにおしゃれではない格好で映画館へ行ってしまった。それはおしゃれでないことをクラスメイトからバカにされないための「逃げ」だったのだと思う。

 

 エレベーターで出会った彼女を見て、彼女はまだおしゃれではないけれど、それでもおしゃれから逃げていないと思った。プラスチック製のイヤリングはいかにも安っぽくて、デザインもひどく子供じみている。けれどそれは、彼女がおしゃれに向かって必死に背伸びする姿の表れだと思う。友達とこれから映画館に向かう、わくわくしているはずの表情がどこか不安げ。きれいに着飾ったOLたちや、雑誌のモデルみたいに全身ばっちりキマった小学生なんかに囲まれて、けれど私は彼女がエレベーターのなかで一番まっすぐに見えた。彼女はそのイヤリングを外さない。そのイヤリングは、私だったら恥ずかしがって外してしまったイヤリングだ。

 彼女はこれから、きっときれいになると思う。