モリノスノザジ

 エッセイを書いています

夢からの箴言

 やたらはっきりした夢を見て、夢の内容がショックだった。休日なのに午前4時に目が覚めた。二度寝はした。

 私の詠んだ歌が他人に批評されていて、その歌には「死ね」という言葉がふくまれていた。現実で私自身が詠んだ歌ではないので詳細は不明だが、ジョークのような軽いトーンのつもりで盛り込んだ「死ね」。それに対するだれかの『もしもこの歌を見てほんとうに誰かが死んだら責任とれるの?』という批判が、夢と現実の境を超えて私に突き刺さってきた。

 

 ことばは便利だ。私が考えていること、まだ実現していないこと、過去にあって今はないもののこと、遠い場所にあるもののこと、仮定の話。現実に相手の目の前に持ってきて見せてやることができない多くの物事についてコミュニケーションをとれるのは、ことばがあるからだ。ことばは形をもたない物事に形を与える。

 一方で、ことばにすることによって抜け落ちてしまうものもある。「悲しい」ということばは世界中にあまたいる人たちの個別の悲しみをひとまとめにあらわす最大公約数的な表現で、誰かの胸に今あるその感情そのものを言い表してはいない。どんなにことばを尽くしても語ることのできないものはあるし、いくら丁寧に書こうとしても誤解を与える余地は残る。

 このブログでも、私のつづる言葉が誰かを傷つけていたとしたら悲しいな。

 

 私の上司は毎朝始業5分前になると席を外す。そして始業前に戻ってくる。てっきり仕事が始まる前にトイレに行ってるんだろうなと思って(思いがけず)後をつけてみたら、違った。彼は毎朝上階の別部署へ朝の報告に行っていたのだ。思えば、毎朝その時間にトイレに行っていたことをうかがわせるような痕跡はなにもなかったのだ。机に戻りつつ手をハンカチで拭いているとか、その時間にトイレから出てくるところをみたというような痕跡はなかった。それなのに私は上司が毎朝トイレに行っていると思い込んでいた。

 同じように、なんの意図も込められていないことばがなんらかの理由で特定の意味をもって受け止められてしまうことはありうる。つらいときには何気ないことばも自分に向けられた呪詛のように聞こえることがあるかもしれないし、前向きなメッセージが嫌みのように思えることもあるかもしれない。

 

 しかし、夢の登場人物からこんなことを言われるなんて、現実でうしろめたいことでもしているのだろうか?と思ってちらっとググってみたところ、夢占いの項目に『落ち武者に非難される夢』があるのを発見した。これってメジャーな夢なのだろうか?夢って、ほんとうにいろいろあるものですね。