モリノスノザジ

 エッセイを書いています

きみはおっぱいが好きな人

 数日前に「おっぱい星人」ということばを目にしてからなんとなく気になっている。そのことばが「おっぱいが大好きな人」という意味で使われていることは知っている(もしかして古い?)。けれど、なぜ「おっぱい星人」なのだ?

 火星人やバルタン星人ということばがそうであるように、「〇〇星人」ということばは地球以外の星の住人を指すことばであるはずだ。とすると、おっぱい星人はおっぱい星なる惑星の住人を指しているということになる。しかし話の前提として、自らをおっぱい星人だと称する人の誰も宇宙人ではないはずだ。地球に来訪した宇宙人がいるという話はまだ聞いたことがないし、仮に彼が実際に宇宙人だとしたらこの発言はうかつすぎる。彼は地球人でありながら、みずからをおっぱい星人と呼称するのだ。では、なぜ地球人であるはずの発話者はおっぱい「星人」を自称するのだろうか?

 いうまでもなく、この言い回しは比喩である。「異星人」ということばが「非常に風変りで、通常理解できる範疇を超えている人」と言ったような意味合いで理解できるとすれば、「おっぱい星人」はおよそ「通常理解できる範疇を超えておっぱいが好きな人」というくらいの意味にとらえればよいだろう。

 

 では、いったいなぜ彼はこのような迂遠な言い回しを用いるのだろうか?

 たとえば、そのように誇張した言い回しを使用することで笑いを誘おうとしているのかもしれない。または照れているのかもしれない。「僕はおっぱいが大好きです」と言う代わりにこの冗談めいたフレーズを使うことで、照れを払拭しようとしているのかもしれない。もしくは逆に、発言の真意が正しく相手に伝わるようにするためかもしれない。日常会話のなかで「おっぱい」というワードが出現することはまれである。この場合、正面を切って「おっぱいが大好き」というよりも「おっぱい星人」というフレーズを使ったほうが発言に含まれた性的なニュアンスを伝えるのに役に立つかもしれない。つまり「これは母乳のことではありませんよ」というシグナルなのだ。

 

 しかし、これらの企ては成功しているだろうか?「おっぱい星人」と言い換えたところで別に面白くないし、照れながら言うのならむしろ見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだ。ストレートかつさわやかに「おっぱいが好きだ」と言ったほうが健康的で好ましい。「えっそれって母乳…のことだよね?」って、乳房を連想した周囲の人間が自分自身を恥じるくらいにさわやかであるほうがむしろいい。

 

 結論を言うと、あなたは宇宙人でないしわざわざまわりくどい言い回しをつかって人から白い目で見られる必要もない。あなたはただ、おっぱいが好きな地球人なのだ。だから明日からは「僕はおっぱいが大好きです」と言ってほしい。同じように「あたし血管フェチなんだよね~」という女性は「あたし男性の血管に性的興奮を覚えるの」と言ってください。フェチとか萌えとかそんな気のきいた言い回しはもういらない。ちなみに私は、中学生の二の腕を唇で挟みたい。