モリノスノザジ

 エッセイを書いています

グッドモーニング、モーニング

 迷っている。860円でドーナツにソフトクリーム付きのセットを注文するか、それとトーストとサラダのモーニングセットを選ぶか。いつもなら迷いなくスタンダードなモーニングを選ぶところだけれど、ここは空港。旅先だ。はしゃいでもいい。それに、ドーナツといってもただのドーナツではない。厚さ5センチくらいはありそうなふっくらした輪っか、中央の穴からはベビーカステラにチョコペンで顔を描いた動物が頭を出している。朝だけど、さっきまで電車のなかで居眠りしていたせいで食欲はない。つまり、ドーナツも選択の余地がある。

 

 モーニングが好きだ。コーヒーを頼むとトーストとバナナとゆで卵がついてくる、モーニングサービス。そのモーニングーー狭義のモーニングは愛知県が発祥だ。愛知はかつて毛織物工業が有名で、そこらじゅうに織機工場があった。織機工場は会話に向かない。というのも、工場稼動中の音がうるさすぎるからだ。そんなわけで、工場経営者が買い手と商談をするときは、いつも喫茶店を利用していた。1日に二度も三度も来店するお客さんに対し、店側がサービスとして始めたのがモーニングのはじまりだという。

 ちなみに、愛知の喫茶店にコーヒーチケット(回数券)が根付いたのも同じ理由だといわれている。回数券は、この先も店が存続するという見込みのもとで購入される。リピーターが多い愛知の喫茶店であれば、11枚つづりのコーヒーチケットを購入したとしても、店がつぶれて損をすることはない。そういうわけでコーヒーチケットは売れた。

 モーニング誕生のきっかけとなった毛織物産業だけれど、いまではずいぶん衰退してしまった。なのでいまでは、織機工場のそばを通りかかっても音は聞こえない。けれど、喫茶店文化は根付いている。毎朝喫茶店で朝食をとり、新聞を読むご老人。出社前にコーヒーを飲みながら会議資料をめくるサラリーマン。お稽古帰りに話の華を咲かせる主婦たち。本日二個目のゆで卵は自宅へ持ち替えられて、子へ与えられる。そして喫茶店文化はつながってゆく。

 

 ふらっと入った空港の喫茶店で、動物カステラつきドーナツとソフトクリームの代案として私の前に現れたのは、バターを乗せただけの素朴なトーストにキャベツときゅうり、トマトが盛られたシンプルなサラダのセットだった。それでも私がその素朴なトーストとシンプルなサラダに惹かれてしまうのは、なんだか愛知の血という感じがする。そして結局、コーヒーカップといっしょにトーストとサラダが私の前に運ばれてくることになる。

 熱いコーヒーに舌先をちりつかせながら店内を見渡してみる。ガラス窓にはなんだかよくわからない草花のような模様が、客が外へ向ける視線をあくまで邪魔しない程度の茂り具合で描かれている。よくみたら、壁際のソファと向かいのスツールの色がちぐはぐだ。部屋の中央のプランターには、ひとめ見ただけでそれとわかるアイビーのフェイクグリーンがふんだんに植えられて、天井からふりそそぐエアコンの風を葉でけなげに受けている。木製の衝立の向こうでは、今来たばかりの中年女性がトーストを注文している。

 

 なんだか泣きそうになった。

 

 私が好きだった喫茶店は、ここにもある。