モリノスノザジ

 エッセイを書いています

バレンタインはだれのため?

 ニコ生でバレンタイン粉砕デモの中継を見た。デモの主催者は「革新的非モテ同盟」という団体で、バレンタインに加えてクリスマスやホワイトデーにも同様のデモを行っている。彼らのデモは、「恋愛することが当然」という観念のもと消費を煽る恋愛イベントを批判することを目的としているらしい。

 この類の姿勢は個人的に好きじゃない。モテようがモテまいが、クリスマスもバレンタインも楽しめばいいと思う。私はひとりでも毎年クリスマスにはホールケーキとチキンを食べるし、バレンタイン時期にはデパートの催事コーナーに出かける。クリスマスを家族と一緒に過ごす人だっていっぱいいて、世間ではとっくに「クリスマス=恋人と過ごす日」なんてレッテルをはがしてその日を楽しく過ごしているというのに、それに水を差すような行為はやめてほしい。自分にその気がないのなら、自分だけが参加しないでいればいい。恋愛をすることが当然とする思い込みに対する批判だとはいうけれど、世界中の人々をモテ/非モテという二分法で語るあなたがたのほうがよっぽど恋愛至上主義に深入りしているのではないか。そして、これが単なる自虐「ネタ」なのだとしてもちっともおもしろくはなく、むしろそれが一番の問題だと思う。

 

 そもそもバレンタインは本当に恋愛イベントなのだろうか?少なくとも、会社で男性社員にチョコレートを配る女性社員たちは、彼らに対して恋愛感情を抱いてはいない。それが習慣やまわりの雰囲気によって強制されたものならなおさらである。また、近年では「自分チョコ」「友チョコ」といった考え方もある。バレンタインは既に「好きな人にチョコレートをあげる日」ではなく、「お世話になった人にチョコレートをあげる日」、いや、ただ単に「チョコレートを食べる日」になっているのだ。

 もちろん、男性にチョコレートをプレゼントする女性がいることも否定はできない。しかし、バレンタインというイベントにとって、男性は本当に必要なのだろうか?

 

 デパートの催事コーナーで売られているチョコレートを見ると、いつも不思議に思うことがある。どうしてバレンタインギフトはあんなにも美しくラッピングされているのだろう?男性は包み紙やリボン、紙袋その他チョコレートを包む外側の部分にさほどこだわりがないのではないだろうか?それとも、それは私の思い込みなのだろうか?プレゼントなのだからきれいに飾り立てたほうがいいのはもちろんだけれど、それにしたってあまりにも美しく包まれたチョコレートたち。そもそも、なぜバレンタインのほうがチョコレートなのだ。チョコレートが好きなのは、男性よりもむしろ女性なのではないか?それともこれも単なるイメージなのだろうか。

 そう考えてみると、チョコレートと美しい包装、そして恋愛という要素の組み合わせが、女性にとってこのうえなく魅力的な組み合わせであるように思えてくる。女性が男性にチョコレートを渡すのは【チョコレート×ラッピング×恋愛】というコンビネーションを完全なものにするための行為であり、男性はあくまでもバレンタインというイベントを構成する一要素に過ぎないのだ。なかには、「バレンタイン」をしたいがために異性にチョコレートを渡すような、恋に恋する乙女もいることだろう。

 

 だから、男性がバレンタインにチョコをもらったとかもらわないとかで悩んだり気にしたりするのはつまらないことだ。世の男性たちはあくまでも、女性たちがおのおのに楽しむバレンタインの「的」に過ぎないのだ。

 

今週のお題「わたしとバレンタインデー」