モリノスノザジ

 エッセイを書いています

寄り添うなまはげ

 ローカルニュースで、なまはげが保育園を訪問するエピソードが紹介されていた。季節柄「鬼」かと思ったが、なまはげである。なまはげは、逃げ惑う子どもたちを執拗に追いかける。給食を食べない子どもがいると聞けば「明日からはちゃんと食べるか⁉」と諭し、別の子どもには「お母さんの言うことを聞くか⁉」と言い聞かせてまわる。最後は子どもたち全員に向かって「明日からはいい子にするかー⁉」と呼びかけて、呼びかけられた子どもたちが大きな声でお返事をする、というエピソード。実にほのぼのするエピソードである。

 

 しかし、いくら子どもが相手とは言えあまりにもざっくりとしすぎではないか。「小学校に行ってもがんばる」などという子どもの言葉もあいまいであるが、それというのも「明日からはいい子にするか?」という問いかけ自体があいまいであることに端を発している。問いかけがあいまいであるうえに、いかにも不特定多数に向かって話しかけているといった風情がある。これからの時代、なまはげもよりひとりひとりに寄り添うことが求められるのではないか。そう、例えばこんなふうに――。

 

 

 ――セラピールームの扉をひらくと、なまはげが立ち上がって出迎えてくれた。室内はあたたかい光で満たされている。ウッド調の家具が濃いネイビーやモスグリーンのファブリックととてもよくなじんでいて、オフィスのような冷たさはどこにも感じられない。スツールはなめらかな曲線がうつくしく、テーブルの上には名前のわからない白くてちいさな花が飾られていた。立ち上がって私をみつめているなまはげも、白衣を着ているとかそんないかめしい様子はまったくなく、その辺のなまはげとまるで変わらない。ドアノブを握る前まで私のなかでわだかまっていた思いが、徐々にとけていくのを感じていた。

 

 「――わかりますわかります。職場の人間関係ってむずかしいところありますよね、私も前の職場はいろいろ大変だったので、すごくよくわかりますよ。特にね、あなたみたいな職業のひとって、お話聞いてると、けっこうストレス溜めてるひとが多いんです。ほんとにね、大変ですよね」

 セラピーはすぐはじまるものだと思っていたけれど、なまはげはまるで今がセラピーの時間だということを忘れているみたいに、私とおしゃべりを楽しんだ。私も私で、なまはげがこう切り出すまではなんのためにここに来たのか忘れてしまうところだった。

 

 「もしかしてそれって、カウンセリングシートに書いてきてもらった『私は悪い子』かもしれないって気持ちと関係があったりする?」

 

 そうだ、私はなまはげに私の行いを諫めてもらうためにここに来たのだ。

 

「…実は、この間嘘をついて休んでしまったんです。その人のことがほんとうに嫌いで嫌いで、いつもなら我慢するんですけど、その日は朝起きた瞬間からもう絶対に顔を見たくない気持ちになっちゃって。仕事もやりたくないし、それで、仮病をつかって休んだんです。そうしたら、たまたまその日大変なお客さんが来ちゃったみたいで」

どうしてだろう。この人の前ではするすると本当の気持ちが口から流れ出す。

「それで、私の代わりにその人が対応をしたら、もうものすごくその人を怒らせちゃったみたいなんです。それはなんていうかその人の自業自得なんですけど、それを後から人に聞いて知って、私はすごく気分がよかったんです。」

 

 こんなに最悪なことをしたのに、なまはげはちっとも私を責めようとしない。ふかく頷いて「そうか、あなたはその人のことが顔も見たくないくらい嫌いなんだね」とか、「その人が失敗していい気分になったのが、今は嫌だなって思ってるんだね」と相槌を打ってくれる。気が付いたら私は、両方の目から次々と、大粒の涙を流していた。

 

 ここに来るまでは、「悪い子」「いい子」がなんなのか、深く考えていなかった。よくわからないまま自分を責めていた。けれど、なまはげに話を聞いてもらっているうちに、自分がかかえているわだかまりの正体がなんなのか、そして私はこれからどうすべきなのかが少しずつ分かり始めた気がしていた。そして、そんな私を見てなまはげは言った。

 

「泣く子はいねがー?」。

 

なまはげはこんな私を受け入れて、私の幸せを祈ってくれたのだった。

 

 

 …どうでしょう。あんな強面がこんなふうにやさしくカウンセリングして心の邪気を払ってくれたら、ギャップにやられてしまいそうではないでしょうか?なまはげいいやつ。念のために言っておきますが、なまはげを馬鹿にする気持ちは毛頭ありません。なまはげに「なまはげのことを悪く言う悪い子がいる」なんて通報はしないように。