モリノスノザジ

 エッセイを書いています

電車のなかの泣きたいひとたち

 毎朝同じ車両に乗り合わせる赤ちゃんがいる。正確に言うと、その赤ちゃんの姿を見たことはない。けれど、毎日電車のなかに泣いている赤ちゃんがひとりいて、その赤ちゃんはいつも同じ駅で降りていくので、たぶん昨日も今日もずっと同じ赤ちゃんと同じ車両に乗っているのだと思う。

 電車のなかで赤ちゃんが泣いてることを不快に思ったことはない。けれど、どうして毎日泣いてるんだろうと思う。赤ちゃんを育てたことがないので、赤ちゃんがどういうときに泣くのかわからない。痛みや空腹やいろんな不快な気持ちを感じた時に泣くのだろうけど、でもそれにしたってどうして毎日泣いているんだろう。

 

 と考えていてきゅうに、自分がいま置かれている状況に気が付いた。つり革をつかんで窓のほうを向く人と、つり革をつかんで反対側の窓のほうを向いている人。その間に挟まって、知らない人のリュックサックに胸を圧迫されながら、電車に揺られている。電車がカーブを曲がれば、大勢の人たちが塊になってもたれかかってくる。身動きも取れない。こんな状況に置かれている。はじめてそのことに気が付いた気持ちだった。ああそうだよね。こんなの大人だって泣きたい。

 毎日毎日電車に揉まれて通勤しているうちに、感覚が麻痺してしまっていたみたいだ。そこは異常な空間だ。赤ちゃんはこの空間の異常さについて、ひたむきに抗議をしている。

 

 そういえば、東京都知事が公約として掲げていた「満員電車ゼロ」は実現されたのだろうか。赤ちゃんもお父さんお母さんも泣かずに通勤できるような、そんな電車になったらいいのになあ。