モリノスノザジ

 エッセイを書いています

みつまめ

 限定のチョコレートサンデーをめあてにデパートのバレンタインフェアコーナーに寄ったのだけれど、なんというか女の子たちに圧倒されて、なにも食べずに帰ってきてしまった。地下まで下るエスカレーターに乗りながら、今日はコートからズボンまで全身灰色の服を着ていることに気がついて、はやくデパートから逃げてしまいたい気分になった。

 なんだかここのところあまり調子がよくない。そわそわして落ち着かなかったり、ちょっとしたことでイライラしたり、夜何度も目を覚ましたり、なにか焦ってるみたいに胸がざわざわしたり。体調は悪くないし、仕事も忙しいわけじゃない。誰かとケンカしたわけでもない。嫌なことがあったわけでもないのに、なぜか落ち着かないというか、そう、がんばりたくない気分だ。

 こういう日は野菜たっぷりの食事か、私だけのためにしては手の込みすぎた料理、スイーツのどれかが必要で、なので私はデパートを出てスーパーに入った。レタス、たまご、ベーコン、サラダチキンを次々とレジかごに入れ、スイーツのコーナーに立つ。いつもならクリームオン杏仁豆腐を選ぶところだけど、クリームオン杏仁豆腐を食べても私はそんなにしあわせにならないことを知っている。ロールちゃん…はちょっと食べ切れないかも。スーパーの苺ショートっておいしいのかな?ゼリーもいいけどあっさりしすぎかも。アイスという選択肢が一瞬脳裏に浮かんだが、なんとなく胃を冷やすのはまずそうだ。なんだか私、今日はもうちょっと家庭的なスイーツが食べたいのかも。と隣の棚へ移動する。ああそうそう。プッチンプリンよりプリンエルだよ、どっちかっていうと。納得した気分で棚に手を伸ばす。

 伸ばす、

 伸ばしかけたところでそれが目に入った。その瞬間、よくわからない何かがあふれるように私のなかに流れ込んできた。

 そこにあったのは、缶詰のみつまめだった。

 みつまめなんて好きじゃない。けれどときどき食べたくなる。私が幼稚園児で私の家族がまだアパートに住んでいたころ、そのアパートのリビングで母とよくみつまめを食べた。ガラスの器にみつまめをうつして、一緒に食べた。みつまめの豆は何がおいしいのかわからなかったけれど、角切りにした寒天の表面がすこしざらざらしているのを、舌でなぞるのが好きだった。母と暮らさなくなってみつまめを食べることもなくなったけれど、スーパーでみつまめを目にした瞬間に、幼いころ母とみつまめを食べた記憶がぶわっと流れ込んできたのだった。

 なんだかベタな話なんだが、本当なんだから仕方ない。みつまめの缶を一瞬つかみかける。しかし、考え直して杏仁フルーツにした。

 母は昨年病気にかかってから砂糖が食べられないらしく、ときどき貰い物のお菓子を送ってくるみつまめはまだ食べられるのだろうか。