モリノスノザジ

 エッセイを書いています

いつまで見てるの?

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  ミュージカル映画は総じて好きだけれど、なかでも『シカゴ』はとくに好き。どの曲も印象的なのだが、2時間近くある映画のなかで一番好きなのは「Cell Block Tango」だ。浮気相手を殺害した主人公・ロキシーは収監された刑務所のなかで、夜なか、蛇口から水滴がしたたる音で目を覚ます。看守の靴底が床をたたく音、収監者が鉄格子を爪で叩く音、マッチを擦る音やつぶやきが重なりあって、やがて音楽がはじまる。この、ばらばらでひとつひとつは単純なリズムが組み合わさって音楽がはじまる様子がとてもゾクゾクして好きだ。もちろんそのあとの歌にダンスに6つの〈殺人現場〉もめちゃくちゃにシビれてかっこよく、このチャプターばかり何度も繰り返し見てしまう。最後には重なり合ったリズムがふたたびばらばらになってフェードアウトしていくのもすごくいい。

 どうしてこの曲が好きかというと、水音や靴音みたいに身近なところにある音の重なりから始まるところだ。ミュージカル映画とちがって、どこまでも平凡な私の人生にオーケストラの演奏はない。けれど、机を指でたたけばリズムが生まれる。キーボードを打つ音やアイロンが吐く蒸気、食堂の食洗機。きまったリズムの繰り返しは生活にあふれている。そうした音たちが「Cell Block Tango」のように奇跡的に出会ったとしたら、私も歌えるんじゃないだろうか?ミュージカル映画の主人公のように。

 

 大人はみんな社会人になったら、結婚したら、歳をとったら「できないよ」と言う。一人旅も留学も、服にお金を使うことや外国語の勉強をすること、週末はライブ三昧。そんな言葉を聞いてきて、私はずっと、できないんじゃなくてしないだけだと思っていた。経済的な問題を別にすれば、結婚したって子どもがいたって、まったく海外旅行に行けないなんてことはないだろう。結局のところ「結婚したら海外なんて行けないよ」という人は、独身とか既婚とかいうことは関係なく、ただ海外旅行に行かないだけなのだ。

 …なんて、思っていたけれど、実際の自分を見てみたらどうだろうか。いつか〈奇跡的に〉音楽が始まることを待ちながら、「Cell Block Tango」をうっとり見ているだけの毎日。自然に、奇跡的に歌えるなんてことはありえない。私自身が行動に移さなきゃ人生はなにも変わらないというのに。

 

 夢とかやりたいこととかそんな大きなことを言わなくたって、私には会いたい人がいっぱいいる。今は別の職場にいる元上司や昔教わっていた先生、学生時代の友達、まだ会ったことはないけれど、あの人やあの人。「会いたい」って言えば簡単に会えそうな人だっている。けれど、「会いたい」って言葉はなかなか簡単には口に出せない。向こうは特に会いたいなんて思ってないかも。忙しそうだから迷惑かも。そんな思いが引っかかる。だけど多分、私が「会いたい」って言わない限り絶対に会えない人だっているんだよな。その人に会えるか会えないか、その分岐器のレバーは私が握っているのに、いつまで私は「会えない」の方向に走っていく列車を黙って見つめているんだろう。