モリノスノザジ

 エッセイを書いています

太った

 新年早々、正月太り。恋が実れば幸せ太り。歳をとったら中年太り。煙草をやめれば禁煙太り。水を飲んだら水太り。狩りと採集で生きていたころのDNAがそうさせるみたいに、人はとにかくいろんな理由で太ろうとする。けれど、そのどれもが私にとっては無関係で、繰り返し太ってはダイエットにいそしむ人々のことは雲のうえからながめる気分だった。一年前までは。

 去年の5月ころから、一か月に1キロペースで増えているのはわかっていた。でも、それまでむしろ適正体重と比べて少なめだったこともあって、そこまで気にはしていなかった。4月に転勤して歩く距離が減ったのが原因だということもわかっていた。正月休みの間についた癖が抜けなくて、ここ半月間はしょっちゅう間食をしている。家に帰ったらホイップクリームをのせたチョコクッキーを食べ、食後にはポテチ。デスクの引き出しにチョコレート。駅前のコンビニで肉まん。それでも自分は太らないと思っていた。昨日までは。

 今朝、ウエストの金具がちぎれた。ズボンの前を合わせようとすると、どうにも腹がひっかかる。仕方がないのでフンと腹に力を込めて金具を掛けようとするが、どうしてもうまくいかない。やっとのことで左右の金具を合わせ、鏡にジャケットを着た姿を映していると、突然ウエストの金具がはじけ飛んだ。就職してから4・5年は履いているズボンだ。いや、4・5年どころじゃない。私は中学以来体重が増えたことはなかったはずだ。そのズボンの金具がちぎれた。それも私の腹の肉で。増加していく体重という客観的な数値を見せられるよりも、鏡に映った裸体を見るよりも、ずっとショックな出来事だった。

 ああ、本当にダイエットのことを考えなければならない。帰宅する電車のなかで考えた。太ることはそんなに問題じゃない。太っていたって魅力的な人はいるし、だいいち、見た目でわかるほど太ったわけでもない。だけど手持ちの服が着られなくなるのは困る。そう。ダイエットしなきゃ。でも、お腹がすいたら何を食べればいいの?仕事帰りにちょっと小腹がすいたとき。弁当食べてもまだお腹いっぱいじゃないとき。本を読みながらなにかつまみたいとき。いままでみたいに食べられないなんて、やっていけるだろうか?と考えて、ああなんだか私は心までデブになってしまったと思った。やせていたころは、太っている人がダイエットに成功しないのは自制心がないからだと思っていた。けれど、自制心がないのは私も同じで、ただ私は若くて代謝がよいので太らなかっただけなのだ。大いに反省しなければならない。

 ということで、しばらくは間食を控えようと思う。運動もちょっとはしよう。食事もちょっと減らそう。あーでも、ここに残ってるチョコクッキーは食べてもいいよね?もらいものだし、神戸のいいお店のやつみたいだからさ…なんて言ってるうちはもうしばらく太るみたいだ。