モリノスノザジ

 エッセイを書いています

プレゼントに最適な日

 「性夜」と揶揄されることもあるクリスマスだが、クリスマスに関連するあれこれをきっかけにケンカするカップルは、しあわせなクリスマスを過ごすカップルと同じくらい多そうだ。クリスマスはふたりで過ごすのか、という問題からはじまり、デートはどこに行くのか、何をプレゼントするかなど、選択肢を誤ればふたりの関係性に重大な影を落としかねない分岐が数多く潜んでいる。それもこれも、クリスマスを恋人と過ごすこと、互いにプレゼントを贈りあうことが有恋人者にとって前提となっているからで、このためにそれぞれ求められる基準が上がってしまうのだ。どの分岐も、正しい選択肢を選べば高得点が入るが、間違えるとダメージも大きくなってしまう、まさに高リスク・高リターンなイベントなのである。

 そもそも、クリスマスでなくてもプレゼントはむずかしい。まず、品物選びがむずかしい。ある程度の年齢を超えると本当にほしいものは自分で買ってしまうので「ほしいけど持っていないもの」というのはなかなか見つからない。かといって、「全然ほしいなんて思いもしなかったけど、もらってみたらすごくうれしかった」枠を狙うのはリスクが高い。実用的な道具やすでに本人が持っているものを送るのは比較的安全だが、なんだかパッとしないし、相手のよろこびもそのぶん少なくなりそうだ。

 相手に渡すのもまたむずかしい。プレゼントを渡す日が私の誕生日の一週間前だったりすると、相手に見返りを求めているように見えてしまう。それに、プレゼントを渡す直前の、なんだかむずかゆい空気も嫌いだ。私も相手も、ふたりの間でこれから交わされるであろうプレゼントを意識しながら、暗黙の了解で口には出さずにいる。私は恥ずかしくないギリギリの範囲で精いっぱいサプライズにプレゼントを渡す演出をし、相手もそれをわざとらしくみえない程度に気分を盛り上げてよろこんでくれる。あの時間が嫌だ。どうせなら、相手の予想しないタイミングでパッとプレゼントを渡したい。私に気をつかう暇など与えたくない。ただよろこんでほしい。そしてそのまま私にプレゼントをもらったことはすっかり忘れて、私に対する好意だけが残ってほしい。

 

 そういうわけで私が考えるのは、プレゼントをあげるのは別に特別な日でなくてもいい、ということだ。誕生日やクリスマスはおのずとプレゼントに対する期待が高まるので、その日を避けて別の日にあげることにすればいい。真夏にクリスマスプレゼントをあげてもいいし、もちろん、何でもない日に、何の理由もなくただプレゼントをあげるのもいい。

 まず、サプライズでプレゼントをあげることで互いに気を遣う必要がなくなる。それに、サプライズでプレゼントをもらうのはうれしいはずだ。プレゼントを贈る人は相手がよろこべばよろこぶほどうれしいので、やっぱりサプライズでプレゼントをするほうがうれしい。

 次に、よいプレゼントが誕生日やクリスマスに合わせてみつかるとはかぎらない。相手の誕生日にも、卒業式にも、敬老の日にも近くないタイミングでプレゼントに最適な品物がポロっとみつかることもあれば、5時間探してもいいものがみつからないこともある。だからプレゼントは、相手がよろこびそうなものがみつかったときがあげ時なのだ。

 さらにいうと、たいていの人はプレゼントをもらうとうれしい。だから、誕生日とかクリスマスとか関係なしにプレゼントをあげてもよいし、誕生日プレゼントを2回あげたっていいのだ。誕生日のお祝いは「無事に新しい一年を迎えられておめでとう」という趣旨でするものだと思う。そして、それを誕生日に祝うのはあくまでも便宜上そこに決めましたという話でしかなくて、一年のうちのどの時点でそれを祝ったって別にかまわない。毎日、一日を無事に過ごしてきょうもあなたと生きていけること、それがすばらしいのであって、プレゼントを誕生日にあげるのはただの約束事でしかない。だから、プレゼントはいつあげてもいいのだ。

 

 ただ、プレゼントにするのにとてもいい品物がたくさんみつかるからとか、誰かがきょうも元気でいることがうれしいからといって、度を越えて贈り物をするのもよくない。相手に気をつかわせるか、あるいは都合のいいように利用されるだけだ。考えていることを全部相手に打ち明けて、プレゼントの準備から贈与に至るまでの過程の透明性を高めることがある種合理的ではあるんだけれど、こうやって相手のことを思いうかべながらいろいろと考えていること、その気持ちが少しだけでいいので品物といっしょに相手に伝わったらいいのになあと思う。