モリノスノザジ

 エッセイを書いています

取っとくタイプ

 ショートケーキの苺も、あたらしい靴下も取っとくタイプ。弁当のおかずは唐揚げを、熱いコーヒーは一日の終わりに取っとくタイプ。もらったノベルティのメモ帳にボールペン、一枚しか使ってないトレーシングペーパーの余りも取っとくタイプ。一度も見返したことはないけど、寄せ書き色紙や年賀状、知らない女の子から授業中にまわってきたお手紙も、みんな取っとくタイプ。そして、RPGでは重要アイテムを、やっぱり取っとくタイプなのだった。

 RPGゲームにおけるアイテムの使い方には、どうやら性格がでるようだ。強力な回復アイテムや能力強化系のアイテム、特別な効果を持つアイテムを手に入れたらすぐに使う人と、そうでない人がいる。私は後者である。戦闘不能状態から回復するアイテムなど、希少なものはほとんど使わない。それに、状態異常を回復するアイテムも使わない。そんなもの、序盤を除けばだいたいどこでも手に入る道具なのなのに。浴びるように使えばいいのに、いったん「取っとく」癖がついてしまうとなかなか使えないものなのだ。だから、私がプレイするキャラクターは、敵に猛毒を吹きかけられようと、身体が麻痺しようと、その効果が切れるまで辛抱強く待ち続けることとなる。

 「取っとく」理由はいろいろある。ショートケーキの苺や弁当の唐揚げを最後に取っとくのは、それが好きだからだ。新品のシャツをなかなかおろさないのは、シャツは糊のきいた新品がいちばん好きだからだ。でも、万能薬は好きだから使わないわけじゃない。希少なアイテムが使えないのは、それが次にいつ手に入るか、いつ必要になるかわからないからだ。後でのっぴきならない状況に陥らないために、あるいは、より有利にことを運ぶために、取っておくのである。たとえ手足がしびれていようと、味方が発狂して襲い掛かってこようと、起こりうるより大きな未来の苦痛に備えて、頑として今は万能薬を使わないのである。


 限りある資源の戦略的使用がもとめられるのは、現実も同じだ。いつのまにか12月は目前に差し迫っていて、いま私は冬との闘いに身を投じようとしている。この大きな敵の前にちっぽけな私が太刀打ちできるはずもなく、闘いはもっぱら「いかに防戦するか」という点が焦点となるのだが、ここでもやっぱり私は「取っとくタイプ」なのだった。

 自宅の窓・扉にはすきま風対策を施したけれど、大きな戦力はまだ動かしていない。コートもストーブも使っていないし、使っている毛布だって、毛布といえるかどうか怪しいくらいぺらぺらなものだ。もちろん湯たんぽや手袋、カイロもまだしまってある。コートと寝巻、自宅用はんてんに関しては、やむを得ず一着出すことになったとしても、より防御力の高いものが控えている。朝晩は正直少し肌寒いといえないこともないけれど、すべての戦力をさらしてしまうとこれからやってくる冬にはとても耐えられないような気がして、なんとか毎日耐えている。

 しかし、冷静に考えてみると、これってなんとも馬鹿らしい。寒さを我慢するくらいなら、あったかいパジャマでもなんでも出してきて使えばいい。ストーブを点ければ灯油代がかかるわけだけれど、クローゼットのなかからパジャマやコートを引っ張り出してくるぶんには追加で支払うコストはないわけであって、タダで苦しむかタダであたたまるかの選択肢で苦しいほうをわざわざ選ぶのはまったく合理的じゃない。
 それに、まだ敵の力が強くないからといって、どうしてこちらが加減する必要がある?分厚いコートでも湯たんぽでも使って、冬の寒さはどんどん追い払えばいいのだ。相手に一度負けるまで木の棒で戦い続けるなんて、正常な判断力の持ち主がすることじゃない。ゲームをしているとき、いい装備を手に入れたらすぐに取り換えるみたいに、使えるものはどんどん使って、どんどん快適になればいいのだ。

 …とはいうものの、長年かけて培ってきた「取っとく」性質はなかなか説得されてくれない。多分、先のことを見据えてどうのこうのというよりも、わけのわからない意地みたいなのがあるんだろう。今年は灯油が高いっていうし…なんて、誰への弁明かもわからない弁明を心のなかで繰り返しながら、やはり寒さを我慢してしまっている。ここ一週間くらいで周りの季節が一気にいれかわった雰囲気があるのだけれど、不思議と寒さが感じられないような感覚すらあって、心のなかで「まだいける」と悪魔がささやくのだけれど、そういうときってたいてい体調をくずしかけて熱が上がっているのである。ちょっとだけ賢くなることを自分に許すことにして、ひとまずストーブを点けることにする。設定温度は18度から。