モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ねむい

 雨が降っていそうな朝は地下通用口をえらんで会社にはいる。仕事のメールにさっと目をとおして、適当な返事を返す。お弁当にはトマトがはいっている。栄養バランスと彩りを考えてのことだ。電車の扉がひらいたら、降りる人のためにすこしよけて道をつくる。こんなにも生活を、すくなくとも表面上は、まともにこなしていることを、自分でも驚くくらい、ねむい。

 ひだりみみの後ろ、あたまの表面から内側に2センチくらいのところから真っ暗な暗闇がひろがりつづけて(頭は3Dなので説明が難しい)、あたまを満たして首のつけ根くらいまでずんと重い。あたまのなかは砂のようにまっしろでざらざらとしていて、なにかが細胞に足りないような感じがする。見えている景色はちゃんとカラーなのだけれど、あんまりあたまがぼんやりしているものだから、まったく世界は生き生きしていない。ねてもねてもそんな感じで、何しろ私は普段からしっかり8時間睡眠をとっているのだ。


 ショートスリーパーとかいう選ばれた民がこの世にいるらしい。多くの人が7~8時間程度の睡眠を必要とするのに対し、彼/彼女らが生活するのに必要な睡眠時間は6時間未満である。なかには、一日あたり3時間の睡眠で済むという人もいるという。1日に8時間寝る人間と、1日に6時間の睡眠で済む人間。起きて活動できる時間の差は1日では2時間だが、一週間にして14時間、1カ月で60時間にもなる。ショートスリーパーはその分多く生きられる。一方眠っている人は眠っている間に何をしているかというと、ただ単に横になっているだけなわけであって、余分に起きている2時間をショートスリーパーがどう使おうと、少なくとも寝ているよりは十分に有意義な時間の使い方であることに間違いはない。

 知り合いに実物がいた。彼は学校で出された課題を完璧にこなしたうえで新聞記事は隅から隅まで目を通し、毎晩夜遅くまで教師や友人と時間をかけて議論をしていた。放送中の深夜アニメはすべて目を通しており、はやりの小説もしっかり読んでいて、クラシックやジャズなど音楽の知識も豊富だった。時間はすべての人間に等しく与えられているとはいうけれど、私と彼に等しく24時間が与えられているとは到底おもえない。そんな彼の睡眠時間が1日3時間だと知ったときは、数学の問題が解けたときみたいに、唯一の答えにたどりついた気持ちだった。


 ショートスリーパーいいなっておもう。その陰には「私もショートスリーパーだったらうまくいくのに」という気持ちがあるんだろう。ショートスリーパーだったら、私だってもっと本を読むし、新聞ももっとちゃんと読んで社会で起きているあれこれについて少なくとも社会人として恥ずかしくないくらいのコメントができるし、部屋の掃除だって毎日やる。ブログも毎日書くし、時間がありさえすれば運動だってできるんだ。私がいまそれをできないのは、ただただ時間がないからなのだ。


 …と言ったところで、なんだか私がまた、「やらない」理由を「自分がショートスリーパーじゃない」せいにしていることに気が付いた。彼が多くのことで抜きんでていたのは睡眠時間が少なく済むのもあるのだろうけど、それ以上に彼がほかの人以上に努力していたからだろう。実際のところ、私がいまより長く起きていられるようになったところでどんな時間の使い方をするというのか。起きている時間の長短より、起きている間に何をするかが重要なのだ。たぶん。

 さらにいうと、睡眠時間が短くなると体調を崩しやすくなる。実際に、残業続きで普段より睡眠時間が1~2時間少ない日がしばらく続くと、自分でも驚くくらいちょっとしたことで風邪をひく。しっかり身体を休めて免疫を高めることがきっと重要なんだろう。身体が発する声を無視して無理に睡眠時間を削ろうとすれば、体調を崩してしまう。寝ている時間は機械が電源をOFFにしている時間とは違って、人間にとって大事なものなんだろう。だから、寝る時間も起きる時間も大事にしたい。日中は「いつまで寝てるつもり?」って問いながら活動して、夜は「いつまで起きてるつもりだ」って気持ちで床に入れたらいい。

 とりあえず、熱いコーヒーを飲んで頭から灰色のざらざらを追い出そう。寝るまで起きているために。