モリノスノザジ

 エッセイを書いています

季節は水道管をつたって

 ある日帰宅すると、ポストに紙が入っていた。市の委託業者が置いていったその紙には「漏水の可能性があります」と書かれている。確認してみると、トイレの水がちょぼちょぼと流れ続けていることに気が付いた。
 さらに10月の検針票を見ると、水道料金が前回と比べて二倍近くの金額になっている。トイレのちょろちょろが原因だとは思うけれど、他の箇所で漏水している可能性がないわけではない。念のため業者に点検してもらうことにした。

 すぐには仕事を休めなかったことに加え、折り悪く三連休に突入してしまったこともあり、不本意ながら点検と修理を終えるまでに一週間以上の時間がかかることとなってしまった。しかし、数日とはいえ、何の応急処置も施さずに生活するのは心配である。10月の水道代が前回の二倍の額になっているのは漏水が原因であるとして、仮に漏水が始まったのが検針日の1日前だったとすると、たった一日で、通常支払う一か月分の水道料金分に相当する水量が流しっぱなしになっているということになる。そうなると、修理が一日また一日と遅れるにつれて水道料金はどんどん高くなり…おそろしい。

 そこで、修理が終わるまでの間は、こまめに水道の元栓を閉めることにした。本来トイレや台所には個別の止水栓がついていて、屋内で止水栓を閉めれば一時的に水の流れを止めることができる。しかし、我が家のトイレは止水栓のねじ頭が見事につぶれてしまっていて、とてもドライバーで回せそうな状態にない。やむを得ず、毎朝出勤前&毎晩寝る前に元栓から水を止めてしまうことにした。
 パイプシャフトは階段の共用部分にあって、上下4世帯分の水道元栓&水抜栓が収められている。完全なる性善説に基づく設計である。悪気のある人はいつでも誰かの家の水道を止めることができるわけで、お風呂場で泡まみれになっている最中に水道の元栓を閉められることを想像するとぞっとする。そして、自宅の水道栓を閉めるためとはいえ、お隣さんのライフラインの源がつまったパイプシャフトへ何度も通うのは、なんだか後ろめたい気持ちになる。他の住人は毛ほども疑っていないのだろうが、朝晩の静まり返った時間帯に廊下でゴソゴソするのはなんだか気まずい。しかも、水道の元栓というやつがなんどもハンドルをまわしてやらないとうまいこと水が出たり止まったりしないようになっていて、一瞬で作業を終えられるような代物でもない。結果、作業中に人が階段を上ってくる物音を聞いて部屋に飛び帰ることが何度もあった。

 ともあれ、何とか修理のめどもつき、漏水が原因で余分に使用した水道代もどうやら負担しなくて済みそうで、数日中には再び安心の水道ライフを送ることができそうだ。


 ところで、「台風が過ぎたら急に冷え込むようになったね」なんてよく言うけれど、台風なんてこなくたって、冬は水道管をとおってじわじわと家庭にひろがっている。ある朝水道の蛇口を開けると、いつになく水を冷たく感じることがある。暦の上では冬なんてまだまだ先なのに、水から先に冬になるのだ。水道管は地中を通っているのだから(たぶん)、地表よりも気温が安定していて、なので水の温度も簡単に上がったり下がったりはしないんじゃないかと思うのだけれど、不思議。
 大人の場合だと、体重の約60パーセントは水分だという。私の場合もきっと同じくらいにからだは水分で占められていて、たぶん今は〈夏〉なんだろう。私のなかの〈夏〉はすこしずつ目減りしていって、蛇口をとおって届けられた〈冬〉入りの水が代わりに私を満たしていく。朝のしいんとした台所で私はしんとするほど冷たい水を飲んでいて、葉っぱや水たまりがすこしずつ冬に変わっていくのと同じだけ、いや、それよりも少しはやく、身体が冬になるのを感じている。