モリノスノザジ

 エッセイを書いています

広告進化ろん

 ここのところ、インターネット広告が進化している。以前は、健康食品とか車とか、まったく興味のない商品の広告をみせられることも多かったけれど、最近は私の関心を狙い撃ちにしたような広告が増えてきている。しかもその精度もかなり上がってきているように感じる。

 いわゆる「行動ターゲッティング広告」というらしい。私たちがインターネットを使ってページを閲覧したり、検索した履歴をもとに表示される広告が決まる仕組みだという。公式オンラインショップで見ていて「ほしいなー」と思っていた洋服、半年前に買った漫画の最新刊の広告がニュース記事のとちゅうで突然現われたりして、その的確さに驚く。ネットショッピングってみているだけでもたのしくて、つい時間を忘れてしまうのだけれど、やっとのおもいで抜け出したのもつかの間、思いがけないところで広告をみせられると、ほしい気持ちが燃え上がってしまう。公式オンラインショップでみるそれと、日経平均株価急落のニュースに織り込まれたそれとではなんだか違った出会い方であり、約束して会うよりも偶然出会ったときのほうが嬉しい、みたいなそんな気持ちになる。ターゲッティング広告の思うつぼだ。

 まったく望んでもいないエロ・グロ系漫画の広告をしつこく見せてくるWEBサイトなんかもあって、不愉快な広告をみせるくらいならむしろどんどんターゲッティングしてください!という気分にもなるのだけれど、吹けば飛ぶような自分のちっぽけな自制心のことを考えるとそれもどうだろう…。

 経費をかけて広告を出すからには、効果は高いほうがいい。ユーザーの関心に合わせてぴったしな広告を出してあげれば、なるほど広告効果も高まるわけで、IT(なのかな?)技術の進歩ってすごいもんだなあと感じる。


 先日、職場の近くに新しい図書館がオープンしたのでさっそく行ってみた。その図書館は従来の一般的な図書館とは変わっていて、本を借りることができない。その代わり、座って本を読むためのスペースが充実している。館内には「旅」とか「宇宙」とかいったテーマごとに本がディスプレイされていて、その本たちも写真集や図鑑など、普通の図書館では手薄なジャンルがそろっている。みているだけでも楽しく、本とのあたらしい出会いにあふれている。

 館内をぶらぶらと歩いていたら、雑誌のコーナーがあった。図書館の雑誌コーナーって、そもそもいろんなジャンルの雑誌が置いてあるものだけど、せいぜい将棋とか登山の雑誌をみつけてふーんと思う程度だった。しかし、さすがは本とのあたらしい出会いを売りにしている図書館だけある。雑誌もかなり特殊なものまでそろっていた。『月刊ガソリン・スタンド』に『缶詰時報』(ちょっと気になる…)、『月刊配管技術』があれば『月刊包装技術』もある。《コンビニ業界》なるものがあることはなんとなく知っているので『月刊コンビニ』があるのは理解できるけれど、『月刊食堂』はどんな規模・種類の食堂をターゲットにした雑誌なのだろう?『養牛の友』、『養豚の友』とくればもちろん『養鶏の友』もある。『養鶏の友』の表紙見出しは「レモングラスでワクモ対策!」なのだけれど、養鶏業界から遠く離れた私には、それが「!」をつけるほどウキウキすることなのかどうかわからない。

 専門雑誌はここにはとても書ききれないくらいの種類があって、専門雑誌があるということも驚きだけど、そもそもそんな《業界》があるということにも驚いてしまう。言われてみればまあ、そりゃあるか、という気持ちになるのだけれど。

 そのなかで一冊、『月刊コールセンター・ジャパン9月号』をひらいてみる。特集は「AI時代を勝ち抜くための”コンタクトリーズン”徹底研究」、「事例にみるチャットボットの要諦」など。なんのことだかまったくわからないけれど、コールセンター業界ではAIの活用に関する話題がホットトピックなのだろうか。表紙裏には本『クレーマーとたたかう』の広告が入っていて、なんだか業界の方々のご苦労がしのばれる。他にも、効率よくシフト管理をするためのPCソフト、とか、一般向けの雑誌ではみることのない類の広告がたくさん掲載されていた。そして、世の中にはこれだけたくさんの《業界》があり、そしてそのそれぞれを顧客とする様々なビジネスが存在すること。それを考えるとなんだか宇宙的なひろがりのようなものを感じて、ただただ関心するしかないのであった。

 おもえば雑誌や新聞も、読み手に合わせて掲載する媒体を選ぶのは当然であって、すべての広告はそれがもっとも輝く場所に置かれるよう工夫されているのだなあ。かつて買っていた子ども向け漫画雑誌にはイラスト講座の広告が入っていたような気がするし、「一晩暗記術」みたいな広告も、おもえばあそこが一番の適所だったのだ。


 そういうわけで、興味があって買う雑誌やネットで見かける広告が私にぴったんこなのは納得できるのだけれど、どうしても仕組みが理解できないものがある。自宅に挟まっているピザの広告だ。

 「あ、なんか今日ピザ食べたいかも」と思いながら帰宅すると、必ずピザの広告がポストに投函されている。まるで私の心を読んだかのように、ピンポイントでその日に投函されているのだ。しかし、食べたいからといってほいほい広告に引っかかるのは癪だ。というか、食べたかったからこそ癪な気もする。なのでだいたいの場合は我慢するのだけれど、どういうわけか次の日も広告が入っている。二枚チラシが入ってたくらいでは屈しないわい!と思いながら玄関ドアを開けると、追い打ちで玄関内にももう一枚投げ込まれている。なんで二枚…しかも同じ店の同じチラシが…。なんだか急に力が抜けてくる。一度目・二度目はかろうじて我慢したけれど、もう私のなかに我慢のカードは残っていない。そうして私は、まんまと広告につられて今夜はピザを食べるのでした。