モリノスノザジ

 エッセイを書いています

王子のいないプリンセス

 あるところに、ひとりの女の子がおりました。女の子と王子さまが結婚すると、王子さまははじめに、王子をやめて大工さんになりました。大工さんになった王子さまは、長い時間をかけて女の子と二人で暮らすためのお家をつくりました。
 お家を建てた王子さまは、次に家具職人になりました。そして大きなテーブルととても座りごこちのよい椅子をつくると、それをお家に置いて女の子をそこへ座らせてあげました。
 最後に王子さまは、畑を耕して苺を育てました。苺は女の子が大好きな食べ物です。それから王子さまと女の子は、毎日いっしょに苺を食べながら、二人で幸せに暮らしました。


 幼稚園時代に自分が書いた絵本を読んだ時には、その荒唐無稽さに驚いた。まず王子が王子である理由が全くない。王子は結婚してすぐに王子の地位を捨ててしまう。王子ともあろうものなら、広くて暖炉がついている豪邸も、豪華な装飾のついたタンスでも、目くばせひとつで手に入りそうなものだ。なのに、律儀に大工や家具職人に転職してすべてを手作りしている。素人が簡単に家など建てられるわけがないから、二人が落ち着いて苺を食べられるようになったのはいったい何年後だったのだろう。

 しかしある意味では、彼が「元王子」であることこそ重要だ。王子ともあろう人が、その地位を捨てて、本気で私に尽くしてくれる。金や名誉で得た物よりも、時間をかけて手ずからつくったものをプレゼントしてくれることに「愛情」を見ていたのかもしれない。幼稚園児間で贈りあう物なんて、まんまるのどろ団子や折り紙のサンタクロースがせいぜいといったところで、当時の私にとっては贈り物が手作りじゃないことなんて想像できなかったのかもしれないけれど。

 もう一つのポイントは、女の子がお姫さまでもなんでもなく、ただの女の子だということだ。女の子はプリンセスに憧れるものだけど、プリンセスでもなんでもない自分にここまで尽くしてくれる男(しかも元王子!)というのはなかなかポイントが高い。女の子はただ王子に与えられるだけの存在で、女の子自身の情報はまったく書かれない。

 24歳で三度目の失恋をした。

 私は彼と結婚するつもりだったから、失恋はショックだった。思い返してみればつまらなくて不誠実な男だったし、本当はそんなに好きじゃなかったのかもしれない。当時の私は、大学を卒業してそれまで乗っかっていたレールから社会へ放り出されるのが不安でしかたなかった。結婚することでその次のレールに早く飛び乗りたかったのだろう。ある意味で自分が特別だった十代を終えて社会の一員となったとき、私はなんでもない存在になってしまうような気がして、「愛される私」になりたかったのかもしれない。

 失恋してそのことに気がつくと、私は激しく自己嫌悪した。それはまったく愛ではなくて、相手を利用しているだけだと思った。彼を振ったのは私だけれど、よい恋愛ができなかった原因は自分にあると思った。私は自分に自信が持てなくて、自分が存在するわけを相手に保障してもらいたかったのだった。

 それから数年間、私はしたことのなかったたくさんのことを試してみた。毎週コンサートへ通ったし、キャンプもした。今までの自分ではないものになりたくて、とにかくこれまでの自分がやりそうもないことを試してみた。苦手な飲み会も誘われれば参加したし、旅行もたくさんした。そして、それまで見えなかったたくさんのものを知った。瀬戸内の島々のあたたかくうつくしいこと、汗をかいてくたくたになることの気持ちよさ、言葉をつかって表現することの繊細で奥深いこと、すばらしい映画を見た後の高揚感…。そうして今では、「自分を好きでいてくれる人」ではなく、「自分が好きなもの」によって自分自身のことを語ることができる。

 かつて私が書いた絵本のなかの女の子は、王子がいかに自分に尽くしてくれるか、そのことでしか自分を表現できない存在だった。大人になった私が、物語の続きを書いたらどんな物語になるだろう?いまや女の子はただ王子に愛されているだけの存在じゃない。王子が建てた家から出て、そこに広がる世界を見る。苺は自分で探しに行く。彼女が彼女であるために、王子なんてもう必要ない。