モリノスノザジ

 エッセイを書いています

サンマがうまい

 ここのところ毎日サンマを食べている。仕事帰りにサンマを一尾だけ買って帰る日が続いて、そうしているうちになんだかそれが特別な行為のように思えてきた。

 サンマの前はリゾットにはまっていて、4種類くらいのリゾットを毎日朝と晩に代わりばんこに食べていた。半年くらい前はアイス(ザ・クレープ)に夢中で、スーパーに行くたびに在庫を買い占めて食べていたし、この間までは絞るだけのホイップクリームを冷蔵庫に常備して暇されあれば舐めていた。好きな食べ物だけじゃなくて、弁当のおかずも毎日だってかまわない。同じものを食べ続けても苦にならないタイプである。

 しかし、サンマは中でも特別だ。グリルで焦げて泡立ったからだを箸でおさえると、ぱりっと音を立てて皮が浮いてくる。ほわっと湯気があふれて、なかから暑くてふっくらした身が姿をあらわす。この、皮と身の関係がなんとも言えない。皮に包まれじっくりと火を通されて、身にはうまみがギュッとつまっている。だんだんとしみだしてくる脂で焼き上がりが香ばしくなるところといい、食べられるために生まれた身体としか思えない。調理法は同じなのに、食べるたびにこちらの期待を超えてくるところが秋のサンマの憎いところだ。

 生のサンマはすべすべしていて、手でさわるとささやかな抵抗を感じる。手のひらの上できらきらするサンマを眺めていると、こんなふうに触覚や嗅覚までも総動員する食事は久しぶりだと思う。子どもの頃はもっとたくさんの世界を感じながら生きていたような気がするのに、いつの間にか地面も草も遠くなり、いろんな物が感じる世界から消えてしまった。屈みさえすれば土も草も手で触れることができるけれど、触っても戻ってこないものはある。生のサンマを触っていると、なんだかその時の感覚をすこしだけ取り戻せるような気持ちになって、もう少し私はサンマを食べ続ける。