モリノスノザジ

 エッセイを書いています

スキップ、スキップ → ランランラン♪

 社会人のみなさんは、最近いつスキップをしましたか?私はしています、スキップ。

 前にスキップをしたのは10年前…いや20年くらいはしていないかもしれない。大人になってスキップをしようと思い立ったのは、スキップが身体の老化を防ぐための簡単な方法としてテレビ番組で紹介されていたからだ。

 血液を身体のすみずみまでめぐらせるための毛細血管。歳をとるとこの毛細血管が減少し、身体じゅうに酸素や栄養が行き渡らなくなり、これが肌のトラブルや臓器の欠陥につながっている。こうした毛細血管の老化を防ぐための方法として紹介されていたのがスキップだった。スキップをすることでふくらはぎに筋肉がつき、それが身体じゅうに血液を送り出すポンプとしての役割を果たすらしい。

 しかし、スキップをしようと思ったのはそんな心配があったからないじゃない。いまのところはまだ老化が気になるような年ごろじゃない。そもそもテレビの健康番組なんてどこまで真に受けるべきものだかわからないし、番組の内容も改めて調べてやっと思い出したくらいだ。それでも街を歩いているときにふとスキップのことを思い出したのは、たぶん日ごろ気にしている運動不足とスキップとが、知らない間に私のなかで関連付けられていたのだろう。今になればまったくの勘違いだとわかるのだけれど、(昨日くらいまで)私はスキップが運動不足に有効だと信じ込んでいた。

 公道で真昼間からスキップをしている成人など不審なことこのうえない。スキップ再デビューするにあたっては最新の注意が必要だった。周囲の様子をうかがうと、十数メートル先を女性がこちらに背を向けて歩いているだけで、幸い周りにはほかに誰もいない。

 周囲の安全を確保したので、そろそろとスキップを始めてみる。頭で考えてみるとスキップの始め方がどんなだったかわからない。最初のステップは片方の太ももを上げること?それとも、片足で軽くジャンプするほうが先だろうか?わからないまま片足で道路へ踏み出してみる。二歩くらいスキップしてからいったん中断し、周りの様子を確認してからもう一度スキップしてみる。わからないのに身体は間違えずにスキップができていて、不思議な気持ちだった。

 大人になってからするスキップは、思った以上に高く身体がジャンプして新鮮だ。思えば成長期を迎える前にスキップをやめてしまっていたので、この身長でスキップするのは初めてだった。身体には、スポーツ選手のように立派ではないにしても大人として不自然じゃない程度の筋肉がついていて、それも身体を大きく持ち上げる。普段見ることのない景色に身体も軽くなったような気がした。

 その日以来、気が付いたらスキップをしている。スキップといっても、ピヨンピヨン跳ねるほんもののスキップじゃなくて、高さを抑えたプチスキップだ。通常の歩行が0でスキップが100くらいだとしたら、スキップゲージ3くらいのスキップ。それでも普通に歩くより息が上がって身体もホカホカするので、スキップが運動不足防止に役立つという説もあながち間違いではないのではないかと思っている。

 なにより、スキップをすると楽しい。スキップを始めると、特に楽しい出来事がなくてもなんだか楽しくなってくる。仏頂面でスキップをしてる人って、たぶんいないんじゃないだろうか。
 以前、テレビで「笑いのサークル」というのが紹介されているのをみた。何人かで集まって、とにかく大笑いする。笑うことでストレス解消を目指すという活動だ。
 こういう話を聞くと、なんだかよくわからないけど、心と身体はつながっているようだな、と感じる。特にハッピーな出来事がなくっても、笑ったりスキップしたりしたら何となく楽しくなる。下を向いて歩いていたら、気持ちも後ろ向きになる。

 そういえば「スキップスキップ、ランランラン♪」というフレーズもよく見たらスキップをした後にランランしているのであって、特に楽しくなんてなくたって、スキップは万人に許されているみたいだ。