モリノスノザジ

 エッセイを書いています

「平成の夏」が思い出になるとき

 ここのところ、「平成最後の8月」だとか、「天皇陛下が〇〇を訪問するのは最後」なんていう報道を耳にすることがあって、ああそういえば最後なんだな、っておもう。あと9カ月で元号が変わるというのにちっとも実感がわかなくて、「平成最後の6月」も、「平成最後の7月」も、お別れを言う間もなく通り過ぎてしまった。

 思えば、5~7月ももうすでに平成中の出番を終えているのだった。春夏秋冬の季節ということで言えば、最初に最後(ややこしい)を迎えるのは夏なわけだけれど、それにしたって「平成最後の秋」とは言われないだろうという気もしていて、やっぱり夏という季節は特別な季節なんだろうなあと感じる。

 けれど、「平成最後の夏」といっても実際たいしたことはない。平成が終わっても夏はまたやってくるし、たぶん来年の夏も今年とそれほど変わりはないんだろう。現に、昭和の夏と平成の夏だってそうたいして変わらない。私がイメージする「昭和の夏」はゲーム『ぼくのなつやすみ』で過ごす夏だけれど、「昭和の夏」感がするものを具体的に思い浮かべてみたら案外今でもあるものだった。昭和といっても60年あるので、一概に昭和と平成は同じだとは言えないだろうけど、田舎に行けば案外昭和らしい夏が残っているような気もする。

 「平成最後の夏」という言葉は、なにか特別な「平成の夏」らしいものがあるということよりも、多かれ少なかれ「平成」という時代に対する名残のようなものを示しているんだと思う。昭和がいつまでも「古き良き昭和」として懐かしがられる一方で、平成は常に暗いムードに覆われていて、平成生まれも30年間ずっと軽んじられてきた。他方、新元号の制定にあたっては元号不要論が唱えられたりもした。けれど、平成が終わるのを名残惜しく感じる気持ちが少なからずあるのだと思うと、平成しか知らない身として少しほっとしたような、わだかまりがすこし解けそうな、そんな気がする。

 ただ、今年の夏には「平成最後の夏」らしく、これまでの夏とは違った夏の兆しをみせた面もあった。主に暑さだ。毎日気温が40度近くまで上がって、各地で人がたくさん亡くなっている。
 私が通っていた小学校では夏休み中プールが無料開放されていた。通学区域別だったか学年別だったか、利用可能な時間帯が決まっていて、授業とは違って学年入り混じった状態でプールに入るのがとても楽しかった覚えがある。けれど、今年はプールの開放を取りやめたらしい。猛暑が原因でプールの温度が高くなってしまうからだ。このほかにも、子どもたちが熱中症で倒れるのを防ぐために、夏休み中の登校日を取りやめる学校があるなんて話も聞く。授業で遠足に出かけた子どもが熱中症で亡くなる事故もあったくらいだから、暑さによる被害を避けるために、これから学校の課外活動のありかたも変わっていくのかもしれない。平成が終わっても変わらず夏はやってくる、なんて思っていたけれど、今まで当たり前だったことがだんだん当たり前じゃなくなってきている。いつか平成の夏の夏を思い出して、あのころの夏はよかったね、なんて懐かしむときがくるのかもしれない。

 平成が終わっても何も変わらない。夏も相変わらずまたやってきて、私たちをどきどきさせたり暑さで苦しめたりするんだろう。けれど、いつか平成を懐かしくおもうときがくるとしたら、それは私たちが何かを得たからなのだろうか。

 …なんだかちょっと寂しくて不安。

 

今週のお題「#平成最後の夏」