モリノスノザジ

 エッセイを書いています

私はいつ準備ができるのか(7)

 最終的には「とりあえずやってみろ」ってことになったわけだけど、この結論にはそこそこ納得している。もちろんこれは、今私に見える範囲での暫定的な結論に過ぎないのだけれど。

 私の〈やりたいこと〉はこやって文章を書くことだ。それで何をしたいのかわからないけど、文章を書くのはたのしい。それに、私は文章を手段として信頼していて、このままずっと味方でいてほしいとも思っている。

 私はどこにでもいる普通の29歳で、とりたてて大きくも小さくもない普通の会社で誰にでもできるような仕事をして生活している。私は全然特別じゃないし、頼りにしている文章だってまだうまく使いこなせない。

 だから私はずっと〈やりたいこと〉を後回しにしてきた。

 けれど、「とりあえずやってみろ」に従って書き始めてみたら、不思議なことが起こった。

 私は日ごろからつまらないことを一人で考えることが多い性質だ(ただし決して考えるのがうまいわけではないので、他人の意見をぶつけられて鱗をこぼしてばかりいる)。「私はいつ準備ができるのか?」っていう問題もずっと考えて考えていたことの一つで、書き始める前にある程度のあらすじは考えていた。けれど、実際に書き始めてみたら、もともとの考えの粗さやあいまいさ、誤りに気が付くことが多かった。書かずに考えていたときには気が付かなかったことばかりだった。

 だからたぶん、「とりあえずやってみろ」っていうのは、少なくともいまの自分にとっては有効なことだったんだと思う。

 自分がほかの人に比べて優れているとか、そんなことは全然ない。乗っている船の性能も、船員の能力も、ほかの船に比べたら劣っている。どこを目指して航海しているのかもわかっていない。だけど、ばかな航海士たちが答えのない議論をしているのを横目に前だけを見て船をすすめる船長が私には必要だ。わけのわからない航海だけど、船は動いてさえいればたのしい。すくなくとも、同じ場所にとどまっているよりはずっと。