モリノスノザジ

 エッセイを書いています

私はいつ準備ができるのか(6)

 森(5)の話、どこまで準備ができた段階で踏み切ればいいのか?っていう話の続きをしようと思う。

 この問題、80%準備ができないと十分じゃないっていう人もいれば、まったく準備ができていない状態でも問題ないって考える人もいるだろうね。どっちを選んでもいい点・悪い点はそれぞれある。80%準備をしてから始める人はその分出来たものの完成度は高くなるかもしれないけど、始めるまでに時間がかかる。反対に、まったく準備ができていなくても始める人は、成果物の出来が80%の人よりは低くなる可能性があるけど、早めに取り掛かる分実践のなかで力を高めていけるというメリットがあるかもしれない。どっちを選ぶのが正しいっていうわけじゃなくて、どういう方法をとるのかはその人の性格によるのかもしれない。

 ところでさっきから「80%の準備」とか言ってるけど、100%ってどういう状態のことだろう?成果に関しては、何を達成している状況が100%なのか、具体的に想像することができる。たとえば、登山するなら山頂まで行くぞとか。だけどそのための準備に関しては、目指す100%がどこなのか、ちょっと想像ができない。例えば準備として、道の下調べをしておくとか、もう少し低い山で練習するとかの方法を考えるかもしれないけど、100%ってなんだろう?どんなんだからもちろん、20%も80%も想像するのが難しい。森(3)や森(4)は100%準備ができた状態は簡単には達成できないって言っていたけど、そもそも100%がどういう状態かわかっていなければそれを達成なんてできるわけがない。

 しかも森(1)が言うには、過去の自分も現在の自分も間違っていることがありうるらしい。山頂まで登るには崖をよじ登る力が必要だぞ!って思って練習していたのに、後になってそんな練習全然必要なかったってわかるとか、そういうことだ。
 これは実際に登山を始めてからも起こりうることで、最初に山頂だと思っていたところが実は山頂じゃなかったってこともあるかもしれない。

 こんなことが起こるのは、自分の人生を俯瞰して見ることはできないからだ。私がたどり着きたいと思うゴールも、それを達成するためにすべきことも、ここから見えるところしか私には見えていない。

 最初から最終的な到達点が見えていればそこに向かって真っすぐに向かっていけばいい。だけど、私が見える範囲には限りがある。一合目から見える範囲で一番高いところを目指して歩いていても、ある程度歩いてみたらそこよりももっと高いところがあったことに気が付くかもしれない。後ろを振り返って今まで歩いてきた道を見てみたら、ものすごく遠回りしていることに気が付くかもしれない。

 ゴールがどこにあるかわからないうえに、今歩いてる道が間違いかもしれないって思いながら歩くなんて意味あるのかって感じするよなあ。だけど、見える範囲に限りがあるっていう事実はどうしようもないんだから、とりあえず歩き始めるしかないんじゃないかな。歩き始めて初めて間違いや足りないものに気が付くかもしれないけど、それでもスタート地点にいるよりはずっとましだ。