モリノスノザジ

 エッセイを書いています

私はいつ準備ができるのか(5)

 森(4)の言うことは間違ってないとおもうけど、それって問題の解決に近づいてるのかな? 森(4)の言うとおり、そもそもやる気がなかったら何も始まらない。それは確か。だけど、気持ちだけでも何も始まらないよね?

 森(4)は森(3)が「人」の準備が大事だと考えるのには賛成っていうけど、森(4)が考える「人」と森(3)が考える「人」にはちょっとズレがあるように見える。森(3)は、地震に備えるために何回も避難訓練をするとか、人の「スキル」を高めることを考えてるみたいだね。一方で森(4)は、人の「心構え」とか「やる気」のことを話している。もちろん、避難訓練には災害に対する意識付けといった意味合いもあるわけだし、森(4)がいう「心構え」がまったく的外れだっていうつもりもない。だけどやる気とか心構えって、「準備」というよりむしろ「前提」のような感じがする。

 人の心構えややる気が〈やりたいこと〉に取り組むうえでの前提である以上、森(4)がそれを大事だと考えたのは正しい。それに、森(2)が、それが欠けているのだとしたら話にならないと考えたのも間違ってない。一方で森(4)が、やる気があることを前提として、物やシステムの準備をしたとしても、結局はその場の状況に応じて動く「人」が重要だと考えるのもわかる。

 そうやって「やる気」は物事に取り組むうえでの前提であって、そのうえで具体的な準備に取り組むものだと考えると、森(4)は森(3)の間違いを正しているようにみえて、順序としてはひとつ前の段階に戻ってしまっているんだよね。やる気や心構えはもちろん大事なんだけど、布団をかぶってコワイコワイって思ってるだけじゃなにも状況が変わらないのと同じように、気持ちだけでは現実は変わらない。

 でも、森(4)が、〈やりたいこと〉の多くは自分で始めるタイミングを決めなければならないと指摘したのはたしかにそうだなって思う。森(3)とかも言ってたように100%準備ができるってことはないんだけど、どこかの段階で終わりのない準備に見切りをつけなくちゃいけない。それがどこか、最低限何%準備ができたら始められるかっていうのがやっぱり問題になってくるのかもしれないね。