モリノスノザジ

 エッセイを書いています

伊藤さん

 ねこが信頼している飼い主にやるあれ、ゆっくりとまばたきをするやつがいいな。私はねこを飼っていないけれど、実家に帰ると二匹のねこは私のことをまだ覚えていて、ときどきあれをやってくれる。ゆっくりとしたねこのまばたきを見つめながら、おんなじようにゆっくりとまばたきをすると、私とねこの間になにか特別な時間・空間が生まれて、ゆっくりとしたその世界のなかで幸せな気持ちになる。

 

 一方で、ねこは目を合わせるのが苦手だとかいう話も聞いたことがある。視線を向けられると天敵に襲われていると感じるというのがその理由で、だから野良猫を見かけたときにはわざとらしく目線を外して、目線を外したまま何気ないふうを装って近寄るようにしていたのに、あれは無意味だったのだろうか。道理で一度もうまくいかないわけだ。それとも、同じねこでも飼い主と目を合わせるのはよくて、見ず知らずの他人と目を合わせるのはNGなのか。よくわからないけれど、言葉を交わせないねこにとって目を合わせるということはそれなりに大きな意味を持つしぐさなのだろう。

 

 

 いつも行くスーパーに、伊藤さんという人がいる。レジで会計を終えてレシートを渡してくれるとき、伊藤さんはいつもにこっとしながら渡してくれる。うれしい。なんとなく意識してしまって、3回に1回くらいは伊藤さんじゃないレジにわざわざ並んでしまう。伊藤さんがうれしいのに。

 

 この間朝の8時前くらいにスーパーへ行ったら、伊藤さんがちょうど出勤してくるところで、私は伊藤さんが私の住んでいるアパートからそれほど遠くないところに住んでいるであろうことと、伊藤さんは日曜日は朝9時からのシフトであることを知った。

 もうひとつの発見は、私にはいつもにこっとしてくれる伊藤さんがほかの客にはときどき冷たいことだ。レジ待ちの列に並びながら、機械のようにバーコードを通して、決められた手順でマニュアル通りの接遇をする伊藤さんをみる。私に笑顔を向けてくれているというのは勘違いだったのか、と思いそうになるのに、実際に伊藤さんにレジをしてもらうと、伊藤さんはやっぱりにっこりとしながらレシートを手渡してくれて、それで私はうっかり、伊藤さんはやっぱり私にはにっこりしてくれるとそう思い込んでしまうのだ。

 

 先生という職業はさみしくないのかな、と考えたことがある。何年かおきに、あるいは毎年の場合もあるかもしれないけれど、生徒が卒業していくのを繰り返し見送って、自分はいつまでも学校という場所に残り続ける。卒業していく生徒たちを見送る気持ちってどんな気持ちなんだろう、と思ったものだけれど、同じスーパーに何年も通い続けるのも似たようなものかもしれない。スーパーには何人かの学生アルバイトらしき人たちがいて、ある日いつのまにか別の学生アルバイトに入れ替わっている。私は先生ではないけれど、スーパーを卒業していく彼女らを見て、学校に残される先生の気持ちってこんなふうかな、と想像する。

 

 伊藤さんは学生アルバイトではないし、おばさんだから、きっとしばらくの間はいるんだろう。いままでもそうだった。けれど私と伊藤さんとの関係が単なる客と店員の関係であることに違いはない。仮に伊藤さんがスーパーを辞める日が来たとしても、私に断ったりはしない。そんな関係性だ。だから、私が伊藤さんに対してなにか話しかけたりすることは、その単なる客と店員との関係を超えるような行為であるように思われて、私は伊藤さんに話しかけられない。ただ、伊藤さんの目を見ている。

 

 伊藤さんがレジのときににこっとしてくれること、そしてそれが単なる思い込みではないだろうと思うことにはほかにも理由があって、私は店員さんの目を見るようにしている。はじめての店員は、きっと客を目を合わさないことにすっかり慣れ切ってしまっていて、こちらが目を合わそうとしてもなかなか視線が合わない。でも店員さんは機械じゃないから、たとえスーパーの店員であろうと会話をするときには目を合わせるべきだと私は思うし、そう思うから店員の目を見て「ありがとうございます」と言う。

 私が見ていることに気がついた店員は、視線を合わせられていることに驚いたような表情をしたり、何かを要求されているのかと勘違いして、私は何も言ってはいないのに「はい?」と聞き返してきたりする。そういう反応をされると、スーパーの店員がほかの客と普段どういうコミュニケーションを交わしているのかが想像されて、ちょっとかなしい気持ちになる。店員も人間で、人間である以上レジでのお会計も私たちが交わす会話のひとつなのに。

 

 伊藤さんがレジの後ににこっとしてくれるようになったのは、そういう視線でのコミュニケーションを経たからだ。私はそう思っている。伊藤さんがそのコミュニケーションに応えてくれること、にこっとしてくれることがうれしくて、何かでそれに応えたいと思うのだけれど、スーパーの客とスーパーの店員との間で取るコミュニケーションの種類を、私はこれ以外に知らない。だから、せめて今日も伊藤さんの目を見てレシートを受け取る。

 ゆっくりとまばたきをするねこは、もしかしたらこんな気持ちなのだろうか、と想像する。私たちは人間同士なのに、いろいろな理由でときどき上手に気持ちを伝えることができなくて、ただ目と目を合わせて会話する。ねこと人間がそうするように。