モリノスノザジ

 エッセイを書いています

「結婚しました」

 じつは、結婚をしました。去年の12月くらいに。もっとはやくお伝えしたかったのですが、年明けは仕事がばたばたしていて、それどころではなくて。実際、ふたりで暮らすようになっても「新婚」という感じでもなくて、なんだか実感がありません。結婚したのは、彼女――1年くらい前に「別れた」と話した彼女です。ええ、この半年間いろいろとありまして。そうなんです――――ありがとうございます。

 

 

 いまだに凍えるような外の寒さとはうらはらに、3月の光は嘘みたいに明るい。光のやつにだまされてのこのこと外へ出ていくと、たいてい痛い目にあう。そんな私をあざ笑うように、この時期の風ときたら、冬まっさかりのそれとくらべても一層冷たいような気がする。光ばかり浮足立って春になる。会社の後輩から結婚の知らせがあったのは、そんな、春になりかけのまだ肌寒い日のことだった。

 

 彼と同じ職場で働いていたのは数年前、つまり、彼が入社してきたときのことだ。だから、彼にとって私は「はじめての先輩」ということになる。もっとも「先輩」なのは形だけのことで、仕事への向き合い方も、人間としてのふるまい方もなにもかも、私が彼の模範になるような部分はなかったのだけれど。

  とにかく彼はそこで、隣の部署にいる女の子に恋をして、やがて、ふたりは付き合うことになった。いわゆる社内恋愛というやつだが、彼らはそれがセンセーショナルなものにならないよう十分すぎるくらい気をつかっていた。入社直後に成立する社内恋愛カップルというのははかないものも多いけれど、なんとなく彼らはいつか結婚するのではないかな、とおもっていた。

 

 だから、久々に会った彼の左手に銀色の指輪がはまっているのを見たときには、その一瞬でいろんなことが一気に打ち寄せてきたようにすべてがわかった気がした。彼に打ち明けられたときには、もうずっと前から知っていることをわざわざ確かめているような、そんな空っぽな感じがあった。それでも、ふたりの結婚がうれしい知らせであることに変わりはない。このおめでとうの気持ちを、言葉で声でうまく表現できないのがもどかしい。なんでもないことみたいにしか言えないけれど、ほんとうはとてもおめでとうとおもっているんだ。

 

 

 人間関係というのはときに重しになる。私の場合、なおさらだ。他人のことを考えられるほど成熟しきっていないので、いつも自分のことばかり気にしている。他人とのやりとりのひとつひとつを、会話を交わすときにできたちいさな擦過傷をコレクションみたいに後生大事にして、ひとと会うことにいつも臆病でいる。

  「友だち100人できるかな」と歌っていたのはもうずっと昔の話で、多分私には常につながっていられる他人のリミットが決まっている。多すぎてもいけないし、やっかいなことに少なすぎてもいけない。つながりのある他人が少なすぎると、多分、その数少ないつながりに多くを求めすぎてしまう。ここちいい人間関係をまといつづけるというのも、なかなかむずかしい。

 

 それでも、人との関係というのはときに思いがけないような喜びも引き起こす。ふっと見上げたらそこに空があることに気がつくような、そんな何気ないことだ。

 

 私はこの間、ずいぶんともやもやしていた。私の短歌がとある媒体に掲載されてよろこんでいたところ、冷や水を浴びせられたのだ。その人も同じくその媒体にしばしば短歌を掲載されているのだけれど「その選考基準を聞いてびっくりしちゃったんだけど、それが、いつも一番文字数が少ないのを選んでますって言うの」だそうだ。それはあくまでも<彼女自身の自虐>という体を取っていたが、同じように私にも突き刺さってきた。そういうときに私は、軽く突っ込んだりすることができない。笑いながら心のなかにじくじくため込んで、時間が経って消えていくのを待っている。

 

 彼女からLINEが来たのはその数時間後だ。「さっきの話の付け足しなんだけど」から始まったその文面には、彼女と選者との「一番少ないのを…」のやり取りを経て、選者側も反省したらしく、今は一番気に入った短歌をちゃんと選んでるみたいですよ!といった内容が書かれていた。あ、もしかして気をつかわせてしまっただろうか、とおもいつつ、あれで本当に悪気がなかったんだなあとおもうとなんだか気が抜けて、ちょっとだけ楽になった。人は私が心のなかでおもうほど、意地悪というわけでもないのかもしれない。

 

 

 12月の結婚を3月になって報告してくれた彼も、それでも、会社でプライベートに付き合いのある同僚のなかでは何番目かに私に知らせにきてくれたらしい。別に何番目でもいいんだけれど、そういう大事なことを共有する仲間のなかに私をおもいだしてくれたことは、うれしい。これもまた、人とのつながりがもってくる思いがけない喜びのひとつだ。

  今はささやかなお祝いすらすることができないけれど、できれば何かお祝いを送りたいと考えている。思いがけない喜びの仕返しとして、彼ならきっとどんなにくだらないものでも喜んでくれそうな気がするけれど、できるだけ本当にうれしいものをプレゼントしたい。おめでとうの気持ちを込めて。